父をめぐるわたしの話(5)世の中をややこしくしているのは、「普通の健康な人間」

 

前回からだいぶご無沙汰しています。

見たら、前回は9月26日ですから2週間以上のブランク。この間にも毎日書いておきたいことはあるのだけれど、なかなか画面に向かうことが難しい日々です。

 

えーと、前回は、「父が緩和ケア病棟に入った」ところで終わりでした。

ということは、父はもう2週間ぐらい、病院にいるわけです。

 

「緩和ケア」というのは何のこっちゃかと、知らぬ方のために説明すると、

要するに「終末医療」です。

病気の進行から来る痛みや苦痛などを、薬によって「緩和」し、ゆるやかに終わりを迎える、というもの。

延命処置ではなく、痛み止めに用いるものは、いわゆる麻薬のようなものです。

父は喉にできた癌ゆえに、発声がままならなかったのですが、それは薬の効果がてきめんで、クリアに喋ることができるようになり、また、「せん妄」(この次元ではない世界の話一般や、記憶と次元があちこち飛ぶ件)は向精神薬によってかなり抑えられています。

(この件に関しては別途改めて書きます)

つまり、父は今、「普通の弱った人」といったテイで、お見舞いに来てくれる人たちとニコニコ会話を楽しむことができる、という状態です。

 

わたしは、週の半分ぐらいを病院にいき、ときどき泊まり、父の世話をしています。

わたしが行くと、父は喜び、意思疎通が簡単だから安心するのか、穏やかに1日を過ごせるようです。

 

 

いや、ほんとに、記録しておきたいことは山ほどあるのだけれど、画面に向かい文章を打つ、という行為は、完全な「地上意識」でなければできないんだなーということを実感しています。

最近は少し落ち着いてきましたが、

病院にいて、父と過ごしていると、わたしまで何か不思議な感覚、

例えば、「病室に一泊して翌日帰宅した」というだけでも、昨日のことがもういつのことだったのか、あまり思い出せない、といったような感覚、言語化は非常に難しいのですが、

わたしのエンパス体質のせいか、共時性?共感性?なんなのか、

とにかく非常に不思議な時間の感覚になっています。

 

で、そんなわたしが「たいへんな日々」かというと、まるでそうではない。

 

むしろ、非常に楽しい。

 

父の、人間としての根幹というか、余計なものがそぎ落とされたありよう、というものが、(我が父ながら)とても素敵だと思うのです。

そして「死を待つ人」でありながら、わたしたちは結構しょっちゅう、笑っています。

 

一つ気づいたことがあります。

iPhoneで例えるとわかりやすいのですが、父は今、バッテリが「赤」の状態、20%ぐらいの状態だと思うのです。

そうなると、人間には自動的に「省エネモード」が作動して、「最低限度の機能」しか、稼働しないようになっています。

この省エネモードに入った父は、人間にとって「余計なもの」が何なのか、を教えてくれているように思える。

つまり、「見栄」や「虚勢」、「虚栄心」といった全ての「自分を飾るもの」は作動しません。

それらが作動するのは、フル充電が可能である状態の人間(わたしたち)のみなんだということを思い知らされました。

単純に言うと「喜び」と「希望」、そして「苦しみ」が基本機能としてあるのです。我が父の場合はそこに「ユーモア」と「思いやり」があります。

本当に嬉しかったら「きちんと喜ぶ」。

生命がある限りは「無条件に希望を持つ」。

苦しみ、痛みなどは「つらいという反応が出る」。

自分(の要望)が軽視されたと感じれば「怒りを表す」。

この4つが人間としての基本機能であることを、父の姿によってわたしは深く理解ができた。

この4つに対して、素直に表すことができないのは、むしろ「健康体の人」というか、残存している生命エネルギー量が多い人、なのです。

つまり虚勢や虚栄心、ごまかしなどは「オマケ機能」みたいなものなのです。

 

考え方によっては、虚勢を張れるだけの「元気」があるんだ、良いことだ!と言うこともできると思います。

けれど、わたしはそんな機能が封印された父と過ごすのはとても楽しく、気分がいい。

人間、もっと日頃から、シンプルになることができたら、この世界どれほど生きやすく、素敵な場所になるんだろう、、、とも思います。

世の中をややこしくしているのは、「普通の健康な人間」なんだなーとも思います。

 

 

こんなことがありました。

先週のこと、父はすでに病院生活にも退屈しきっています。

かといって、出歩くことはできない。

美味しいものを思い切り食べることもできない。

かわいそうになあ、どうしたものか、、、と思っていたら、その日の午後、ボランティアの方がピアノを弾いてくれるという。

父も音楽は大好きですが、わたしは「どうなのかなー」と不安に思った。

というのは、よくテレビなどで映る、例えば特養施設などでの、「パジャマ姿の老人たちが歌を歌っている光景」みたいなのであれば、父は限りなく嫌悪していたものです。

でも、「せっかくだから行ってみようか?ピアノの音はいいんじゃない?」と言うと「うん」と言います。

そこで車椅子を押してホールに行くと、他には寝たきり(でも元気)のおじいさん、おばあさんなどが集まっていました。

それで彼らのリクエストにピアニストが曲を弾き、みんな歌う、みたいなことになっていたから、わたしは父が嫌だと言わないように、敢えてでっかい声で歌ってやった(笑)

昭和の懐メロみたいなやつ。石原裕次郎とか。「有楽町で会いましょう」とか「知床旅情」とか。

もう、バカみたいにでかい声で歌ってやった。

そしたら、むしろわたしが気分良くなっちゃって、楽しくなっちゃって(爆笑)、患者さんたちも声でかくなってきて、ふと横目で父を見たら、

父は、なんと、歌っていた。

しかも、とっても楽しそうに。

 

はっきり言って、そんな父を生まれて初めて見た。

ちょっと胸が詰まるぐらい、それはいい表情だった。

 

「音楽はいいね〜」と言ったら

「うん、いいなぁ」と素直に言って、疲れたから部屋に戻ると言うまで、結局6曲ぐらい、声を出してた。

そしてピアニストのおばちゃんに「ありがとうございました。とても楽しみました」と何のてらいもなくニコニコ告げ、ああ、わたしの父親は素敵な人だなあ、と思ったのです。

人生の最後に来て、そんな姿を見せてくれたのは、わたしにとっては贈り物のようなものです。

父の兄弟たちは、「信じられない!」と言っていました。彼は照れ屋で、昭和の歌謡曲なんか歌わない人だったと言うのです。

 

音楽には人を癒し、力を与える力がある。

そして極限状態では、人はその人の「素地」を出すものだと思います。

翌週の同日、父は具合が悪そうでした。

また「ピアノ」の時間になり「行こうか?」と言うも「無理だな」と言って目を閉じていましたが、病室にまで届く音色を何曲か聞いているうちに、みるみる元気になり

「行く」と言い出して、歌いこそしませんでしたが、ピアノの前に座って以降、快活になりました。

 

わたしは来週こそ藤圭子を歌ってやろうと思っています(笑)

(藤圭子ブームはまだ続いているw)

 

 

てな訳で。

他に書いておきたいことは、

・父が「医療」というものにぶつけた怒りの話

・DNの話

・魂の連動の話

 

などがあります。

 

 

読んでくれてありがとう。

 

またね!