メンタル強化のためにわたしから言えること

今年は些細なことでもできるだけ発信しようと思ってる。

 

で、いきなりなタイトルに意味のない画像。

 

「メンタルが弱いので、強くなりたい」というメッセージをいただき、考えてみることにした。

これ系のことは対話式セッション(この世の仕組みを理解して超楽になる)をやったほうがいい、とは思うものの、最近やれてないし、だいたい営業していないし、一方的な発信として自分の経験から何が言えるか。

 

だけど、メンタル「強化」の前にいくつかのこと。

 

1)メンタルが弱いのは悪いことだ、という前提自体に疑問をもつ

そりゃ、鋼のように強い精神を持ってりゃ傷つくこともない。もしくはサイコパスのように感情そのものを持たない人もいて、鉄壁だ。

だけど、それって理想なのかしら?

何があっても傷つかない人なんて、魅力的かしら?

メンタルが弱いというけれど、人と違う感受性を持っている、というだけかも知れなくて、それはもしかしたら素敵なことかも知れない。

 

2)メンタルを強くしようと思わない

一絡げに「メンタル弱い」と括ってしまわずに、どういう状況、どういう要素に対して自分は弱いのか、を冷静に考える。

逆説的だけれども、メンタル(漠然とした)を強化するのでなく、状況分析を強化したら良い。

分析されたなら、状況に対して耐性をつけるか、あるいはその状況になったら早々にギブアップすれば良い。

弱いばっかりではなく、思わぬところが強い、ってことは誰にでも絶対にある。

 

3)価値を判断する

2に紐づいて。

どういう状況や要素に対して自分は弱いのかがわかったら、その状況や要素は、歯を食いしばっても乗り越えた方がいいことなのか、意外とバカバカしいから放棄してもいいようなことなのか、判断すれば良い。

自分の弱さ(本当はそこじゃないかも知れないけどね)ゆえに⚫⚫⚫⚫になっている、だとして、ならば⚫⚫⚫⚫は自分にとってどれほどの価値があるのか、というような。

例で言うと、

たとえば、わたしは毎日決まった時間に起きれない(これ本当)。だけど、毎朝同じ時間に起きることは、わたしにとってそんなに大切だと思っていない(本当)。 →だったら別に問題はない(本当にそう思っている)。

「自分にとって」というのがすっごく大切だと思う。何しろ自分の人生の件ですから。

ここで、「でも本当に早く起きる必要があるときは絶対に起きる」ということを自分に課している。毎日じゃなきゃ、できるでしょ。っていうか、実際できる。でも毎日の強制になるとできない。なぜなら意味を感じないから。

その代わり、毎日決まった時間に起きられる人間が得られる「何か」(なんだかは特定できない)は、わたしには獲得できない。しかしその逆も同じ。どっちがどう、ということではない。

そして自分はそういう人間なんだ(良いでも悪いでもなく)と受け入れている。神が自分をそのように作ったんだから仕方がない。自分の飼い主は自分であって、他の人ではないんですから受け入れる以外にない。

 

4)なんのためにメンタルを強化したいんだっけ?を考える

競争に勝つため?人に賞賛してもらうため?オリンピック出場のため?

あるいは、何だろう?

場合によっては、別に弱くても問題ではないことだってたくさんあると思う。どうして強くなりたいのか?を冷静に詰めてみる。

多くの場合、弱いことそのものが自分を苦しめているのではなくて、「自分以外の人」を基準に考えるから自分が苦しむことになっている。

 

5)強い↔️弱いみたいな考え方に固執しない

なんでも二元論的に考えている限りは出口は見えないし、世の中そんなに二元的ではない。

強い/弱い、良い/悪い、正しい/間違ってる、正義だ/悪だ。

そんなことに興味を持つことをやめる。

だって、どっちも可変的なんだもん。比較の問題でしかない。真理はそこにない。

例えば海の潮には満潮と干潮があるけど、満潮と干潮の間にも波が寄せては引いていくのを繰り返している。満潮と干潮しかないわけでもなければ、満潮が良くて干潮が悪いとか、その逆も、全くナンセンスな話で、「海には波が起こるものだ」というだけ。

 

6)人の基準で生きない

他の人はとやかく言うことがあるかもしれないけど、その人は自分の人生になんら責任を持ってくれないことを知るのは大切。

仮に親であっても同じこと。彼らは彼らの人生。わたしはわたしの人生。

自分の心地よさは自分にしかわからない。

その代わり、人の人生や選択にも一定のリスペクトを持つ。リスペクトを持つことは、同調することと同じではなくて、「あー、その人は、そういう基準で生きてるんだな」ということを認めれば良いだけ。

自分とは違ったとしても、その人はその人の人生に責任を持って生きるはずなので、こちらが気にする問題ではない。

関わったとしても、うまく噛み合わなさそうだとわかれば、その人の「ご多幸をお祈りします」という柔らかな気持ちで、距離を保てば良くて、無理に理解しよう/させようとする必要はない。

仮に、万が一誰も自分のことを理解してくれなかったとしても大丈夫、マリアさまがいる。鉄壁のゴールキーパーのようなもの。ピンチになったら出てきてくれる。

実際は、思っている以上に理解者はどこかに必ずいる。

だけど、人生の目的は多くの他人に理解されることではなく、自分が満足して生きることだとわたしは思っている。もっと言えば、人生に目的なんて、本当は特にないと思っている。

シンプルに言えば、生きて死ぬだけ。だったら、自分の心地よく生きた方がマシ、というぐらいの話。

で、自分の心地よさは自分にしかわからない、というところに戻るんですね、これは。

 

7)来世に託す

自分の課題について、いろいろとあがいてもどうにもならないことはとっとと諦める。

輪廻転生は便利なので、今の人生でできなかったら次の人生でやりゃいいや、と思ったら、むしろ今の人生でできることに集中した方が楽しいしストレスもない。

自分を責める自分が出てきたら、「その問題はもういいです。次でやりますから」と宣言してしまえば済む話。

なんでも都合よく考えればいい。

 

 

(たぶんいつか)つづく