「あなた」なんかいない。意識は個人のものではない件!!!

 

単刀直入に掲題の件よ!

 

せっかちだから結論はそーゆーことなのよ。

びっくりマーク3つ付けるほど

意識は個人のものではない件!!!

なのよ。

 

 

 

説明します。

 

あのさー、わたし今何をやってると思う?

 

猛烈な勢いで

サイトの刷新。

 

前々から言ってる通り、全部変えてやるのよ。

変える変える詐欺だったけど、今ようやく作業しているの。

 

多くの人が、精神的な疲れを含む、父の死からの立ち直りを想定して

「落ち着いた?」「大丈夫?」と優しい声をかけてくれる、その心配をよそにアタクシ、

もんのすごい集中力でやってるわよ!

正直「精神的な疲れ」なんか1ミリもないのよ。

 

 

この、

集中してことにあたるチカラ

発想したことを実現化させるチカラ

 

これらのもんは一切、

わたしの意識なんかと関係ないってことなのよ。

 

だって、発想もやる気も、夏前にはあったんだもん。

そういう「意識」はあったのよ。

だけど、物理的にできなかったのよ。

何も、できなかったのよ。意識とは一切関係がないの。

 

この3ヶ月間、わたしは「父に付き合う」ということ以外、

本当に何もできなかったのよ。

 

多くの人は、「何もできない」が、わたしの「精神的な負担」でできないことだと勘違いしてしまう。

でも、そうじゃないの。

物理的(肉体的)にできなかった、ということなの。

 

 

父が危篤になればわたしも死にそうになり(本当なのよ!)

父が持ち直すとわたしも人間らしい動きができるようになる。

肉体エネルギーのレベルが父と同等になっていたのよ。

言語でいうと超ウソっぽいし、安っぽい気さえする。

でも嘘みたいだけど本当なのよ。

このことは、紫鯨亭さんが証人よ(笑)

 

 

人間らしい動きっていってもね、「生産的なこと」は何一つできないわけよ。

知ってる?この期間のわたしの「できる、できない」の基準。

夜、帰ってきたDNに

「今日はすごいできたから満足している。クリーニング屋に行けた。そのあと郵便局に行って支払いをして、●●でご飯食べた

(家から半径100メーターの話)」

「おお!!!3つもできたんだね!」

「だからもうクタクタ。寝る」

・・・そんな調子よ。

だって、本当に「何もできない」んだから。

それさー、「わたしの意識」とは一切関係がないのよ。

意識では、明日はコレとアレと、アレもしたい、って思ってるんだから。

 

 

でさー、父が死ぬ時もわかったわ。

何があったってわけじゃないの。

「ああ、今日死ぬんだな」てわかった。

「あと何時間ぐらいだな」もわかった。

それもわたしの「意識」とは関係ない話なのよ。ただ知ってたの。

だから、息をひきとる瞬間をきっちり見守ったわ。

 

 

でさー、死んだ後もすごいよ!

 

「もし好きだったお酒があれば、ジプロックに液体だけ注いで棺に入れてあげてください」

って葬儀屋さんに言われてたのを思い出して、

通夜当日の朝、入れてあげたのよ。飲みかけのシーバスリーガルあったから、全部入れてやった。

ついでに焼酎の残りも入れてやったわ。

そしたら、その後、昼時になって、わたし酔っ払ったのよ!

わたし酒は一滴も飲んでないわよ。ちなみに、匂いだけで酔うほど弱くないわよ、わたし。

だけどなんか急に酔い始めて、いわゆる「いい気持ち」で、

もう葬式なんかどうでもよくない?わたし行かなきゃいけないの?って気になってくる。

DNがピンと来て「オトーサン、今あれ飲んだんだよ」って言うの。

ははーん、と思った。

本番(通夜)前に、手持ち無沙汰になっちゃって、一杯やっとくか!みたいなことでしょ。

とにかく酒飲む人だったから。

DNが妙に感心して

「さすがオトーサン、本番の時間から逆算して、今いっといて本番には酔いを覚ましてシャキッと出て行く気なんだな」

って真顔で言ったのにはめちゃくちゃ笑ったわ。

とにかくこれもわたしの意識とも行動とも一切関係がないのよ。

でもかんべんしてよー!って思ったわ。あまりにやばいから昼寝した。起きたら酔いは冷めてた。

おかしいでしょ。

酔ってるのは生きているわたしなの?死んでその辺をウロウロしてる父なの?って話よ。

わたしは飲んでいないのよ!

 

 

葬儀一式が終わってからもウケるよ。

 

やたらとすごい食欲なのよ。

わたし、1日1食でもまったく問題ない人間。むしろ食べたくなきゃ食べなくても問題ない。

それがまあ、食べる食べる、ハンパない。

 

「食べる」ということへの執着がすごい。

例えば神保町に行く、となったら、食べたいものがジャンスカ想起される。

そしてこう考えているのよ。

「三幸園で酸辣湯麺を食べてから、共栄堂(スマトラカレー)行って、それから上のランチョンに行けばいいかな」。

で、ふと

「頭おかしい!」って気づくの。

それはわたしではない。わたしの意識ではない。わたしはそんな人間ではないのよ!

それでわかった。

これはオトーサンだな。

オトーサンの「意識」がわたしの肉体を利用して食べに食べている。

 

父は3ヶ月間、ほとんどモノを食べていなかったからね。

(人間、食べなくてもそれぐらい生きるのよ!)

「あれも食べたい、これも食べたい」って話をよくしていたの。

一切の悲壮感なく「自由に歩けるようになったら、寿司屋に行く」って言ってた。

これもおかしな話で、父は死を受け入れていたから、歩けるようになることはないのはわかってたのよ。

じゃ「歩く」ってどういうこと?ってわたし思ってた。

 

この爆食現象はしばらく続いた。

昨日フレンチ、今日トンカツ。昼にうなぎ食べて、夜はイタリアン。

当然、すべてフルコース。

寝る前は「いくらなんでも食べ過ぎたわ」て思ってるのに翌日もガッツリいける。

でももう、父が食べてるんだと思うから、わたしは抵抗しなかった。

好きなだけ食べたらいいよって思った。

支払いはわたしだから、「なんでもご馳走してあげるよ」ぐらいの気持ちよ。

生前は、絶対に子供に払わせることをしなかったからね。

 

 

今、死後ちょうど20日ぐらい経ってるんだけど、

オトーサンは満足したのか、先週ぐらいからそーゆーおかしな現象がおさまってきて、

わたしは本来自分がやろうと思ってた作業をこなすことができるようになった。

 

 

 

本当にツラッツラ思うのよ。

それじゃ一体、今のわたしの意識って何?

「これ」はどこから来ているの?

ていうか、

「意識」ってなに?

「自分(個人)」ってなに?

 

あなたが認識している「自分の枠」があるとすれば、

それはあなたであってあなたではないよ

ということは言っておきたい。

実際は、「あなた」とはかなり広大なものです。

 

 

「ワンネス」みたいなのって漠然としてるし

「みんな繋がってる」って言うと、なんかホンワカした感じにもなるけど

要するに広大な情報空間だと思う。

その広大な情報の一部分と、その肉体の固有意識がカチッと紐づいた時の自分のことを

通常、人は「自分」と認識するだけなんだよ。

逆に言うと「自分」はめっちゃくちゃ拡張性があるってことだとも思う。

ただ、その「拡張」は、誰でもが意図的に自在にできるかというと、正直今んとこわからない。

可能なんだとは思うけど。

 

言語化が難しいけど、万が一でも伝わったら嬉しいですw

 

 

しかしさー、

時代が時代なら、こんな話をするわたしは絶対に精神病院送りだよw

ま、中世なら火あぶりね。

多分そういうことはあったと思う。

(蛇足だけど、だから火葬場とか行きたくないのかも。もちろん今回も行かなかったわ。嫌なのよ)

 

 

 

読んでくれてありがとう!

 

またねー!