宇多田ヒカルちゃんにお賽銭を投げた、の巻

 

藤圭子が好き過ぎて、宇多田ヒカルのCDを買った。

 

と言って「どうして?」がわかったアナタは相当な「りーかおマニア」と言えます(爆笑)

わかる人はまずいない。

 

そもそも、わたしは音楽はマトモなスピーカーで大音量で聴かないと気が済まないタイプ。

YouTubeとか圧縮された音源とかではダメなタイプ。

小さい音量で聴くのが気持ち悪いと思うタイプ。

 

本当にいいと思うなら音源を手に入れるべきだと頑なに考えている。

仮にデジタルフォーマットでもいい。

アーティストへの礼儀だろと思っている。てか、「お賽銭」だよ。

音楽は心を揺らすもの。

心揺らしてくれた相手に「ありがとう」と思うだけでいいのか?チゲーだろ。

その辺の神社行ったって100円ぐらいチャリンチャリンさせるじゃん。

わたしにとって「音楽」というものへの値付けはその辺の神社のお札とかより価値あると捉えている。

 

 

それで、

音源は、絶対に「生きてる間に」買うべきだと強く思っている。

よく、誰かが死んで、昔よく聴いたその曲が流れて、思わず食いついて、「やっぱいいなCD買おう」とかは無意味だと思っている。

一番ダサい行為だと思っている。

 

(あ、言っておきますけど、単なるアタクシ個人の哲学でございますよ。人に押し付ける気は毛頭ございません)

 

死んでから音源買っても、本人のところにはチャリンの音すらしない。

レコード会社か、関係ない誰かが儲かるだけ。

ましてや本人が失意のうちに死んだ、みたいなケースではなおのこと。

 

考えてもみてほしい。

ゴーギャンもヴァンゴッホもモディリアーニも、生前は理解されずクソ貧乏で、ほぼみんな狂死に近い。

生前大金を手に入れたのはダリが初めてぐらいなもん。

生きてるうちに、人が評価しない=金を払わなくて、死後になって「偉人」になって画商が儲けるだけ。

今でもオークションであれこれ落札されるけど、落札する側は「値が出てる」から買うわけであって

今、同時代に生きているその辺でのたれ死にそうな絵描きに金払うやつはいない。

そーゆーことにわたしはムショーーーに腹が立つ。

どういうわけか自分でもわからないが、ものすごい怒りを感じる。ほんと、なんで?

 

ま、そんなわけで、この怒りに対して自己矛盾を感じないために、

わたしは気に入れば無名画家の絵も買うし、音楽家であれば音源を買うっつーことでささやかな「何か」を満たしているw

 

 

今年の夏前に藤圭子という歌い手を偶然を「発見」してしまったがために

ま、ちょっとあり得ないぐらいyoutubeを見まくった。

若い頃のやつ、晩年と言えるやつ。

最初はその歌詞にめちゃくちゃ抵抗があったのに、「声」として聴く限り歌の内容は一切気にならなくなった(ってのもすごいことだが)

でも所詮、そんなもんは粗い音でいたたまれない。

そして彼女に関するあらゆることを調べ尽くした。

潔く、執着がなく、正直すぎる非常に興味深い人物像、手に取るようにわかる気がするその感性、つまり人としてかーなり好きだ。

語弊を承知で言うなら、自ら人生を閉じる権利を行使した最後も含めて、天才芸術家の人生として好きだ。

わたし多分「常人にはわかり得ないもの」みたいなもんを持った人が大好きなんだと思う。

その人が「いい人」かどうかなんかどうでもいい。(ちなみにカラヴァッジョなんか人殺しだ)

そんなら彼女に「お賽銭」ぐらい投げるべきだが、もはや彼女はこの世にいない。

わたしの「ありがとう」の気持ちはどこへ行くのか?(ソニーレコードだ)

 

てなわけで、そんならせめてお嬢ちゃんにチャリンがいけば、わたしの何かに抵触しない。

(何このルール!)

ツーわけで、18歳の藤圭子が最初に出したアルバムとともに、これまで注目してこなかったヒカルちゃんの2016年の1枚(亡き母へ捧げたやつ)買った。

 

これが驚くほど、良かった。

良い。良い。非常に良い。

5回リピートして聴いてしまった。

久しぶりにCDをちゃんと聴き込んだ感。

 

 

 

それにしてもなかなか感慨深いw

ブラジル音楽が大半を占めるわたしのCD棚に

なぜか

演歌

というものが仲間入りしたこの衝撃!

演歌のCDを買った自分、何者?

超じわじわウケる。

 

じわじわついでに、このブログが「藤圭子」で検索されている事実にもかなりヒクヒクきたw

往年のファンのオッサンとかが検索してるのかなー。

 

往年のファンの人たちに話を聞いてみたい気もするけど、たぶん絶対、盛り上がるポイントが違うんだろと思うw

わたし他の演歌の人に関心ないし。

 

 

とにかく!

演歌を1枚買ったというよりは、藤圭子を1枚買ったのだ。わたしの中で厳然と違う。

 

没後リマスターされたらしい復刻版の音質の素晴らしさによって

彼女の声の持つ超絶な立体感がまことに強烈で、脳の中どんどん浸食してくる。

返す返すも、時代の中でデビューから「演歌」というレッテルを貼られ、レコード産業の都合によって「そのジャンル」「その路線」に固定されてしまった彼女の不幸を思わずにはいられない。

次元の違う歌い手。日本開国以来、おそらく史上最高の歌い手だろうのに。

 

 

でもヒカルちゃんのこれを聴いて、

結局、藤圭子がこの世に残した最高の作品が「宇多田ヒカル」なんだろう、とわかった気がして、

めちゃくちゃしみじみして、泣けた。

魂の仕組みってすごい。

 

 

買ってよかったわ。(いつか詳しく書くかもしれない)

 

マニアックな話を読んでくれてありがとうw

 

またねー!