紫式部→与謝野晶子→ユーミン→宇多田ヒカル(今ココ)

 

初めて買ったヒカルちゃんのこのアルバムは実に素晴らしく、また、多くのことを考えさせられて余韻がすごい。

単発の曲をどうこうというよりも、全編通しで聴いて深さに触れる、的なアルバムだと思う。

やっぱり、芸術には「悲しみ」が絶対に必要で、それがなければ本当の美しさにはならないってことも、改めて思った。

 

 

ただ、わたしが感じたことをいくら言葉で伝えようとしても、

冗長にしてまだ足りず、ということになってしまうと思う。

みんな買ったほうがいいよ、としか言えない。本当に素晴らしいものだった。正直びっくりした。

 

 

無理やりまとめて言うとすれば、

「人並み外れた理不尽な親子関係」というものがあって

それが、ある日突然、一方的に打ち切りにされた衝撃を

「誕生」という対局のものを体験するという、まさに「命のリレー」のなかで得た悟り

という感動もあるし、

聡明すぎるほど聡明なヒカルちゃんゆえに、

母親の採った選択の意味(自由になる自由)をわかってしまうと同時にやはり容易に受け入れ難い

といった内面の風景

という切なさもある。

 

良いにつけ悪いにつけ自分の中に外にある「藤圭子」に対する決着のつけ方

がありありと表現されていて、それはわたしには感動的に感じられた。

 

だいたい、タイトルからしても、ジャケットを見ても、

あー、そういうことの表明なんだろうなー、と察しがついていて、なんだか沁みた。

 

 

 

また、別な側面から、音楽家っていいな(羨ましいな)、としみじみ思った。

あの母娘関係において、ヨソにはわかり得ない愛憎入り乱れる複雑極まりないであろう思いも、

そうそうペラペラと口を衝いて出るわけもなく

きっとまた口にしたところでそれは虚しく、正確ではなく

誰にも伝達不能なのものだろうと思う。

だけどずっとそれをひとり抱えていたら潰れてしまう。

それをこうして音楽として表現することで彼女にとっての、(チープな言葉に聞こえるけど)「デトックス」なのだろうとも思った。

 

あと気がついたのは、彼女の言葉選びの感覚の鋭敏さで、

わたしの好きな「聴く者の感性に委ねられた歌詞」として質が高い。

あーたぶん、

紫式部→与謝野晶子→ユーミン

と続いてきたジャパンの言葉の紡ぎ手の後継者が、ニューヨーク育ちの宇多田ヒカルなんだろうなと思った。

(これ、誰か別な人が言ってたら俺は悔しいぜw)

 

 

まあ、とにかく素晴らしかった。

そーゆーわけだから、

宇多田ヒカルは藤圭子が世に残した「最高の作品」なんだな、と腑に落ちた。

藤圭子はすごい仕事をして、非常に満足しているだろうと思う。

 

 

 

 

 

全編のなかで際立った役割になっているのがこの曲だと思った。

見事に心を撃ち抜かれた。

 

人それぞれ、親に対しては複雑なものを、誰しも持っているのではないかと思う。

子供は一度生まれたら無条件に親を慕うものだ。

ほとんどの親も、おそらくは、子供に対していい親であろうとするはずで、ただその表現や方法が、子供を苦しめる結果になったりするわけだ。

わたしの母親も、「昨日言ったことと今日言うことがまるで違う」は幼少時から今でもまるで変わらないし

「あんたなんか産まなきゃよかった」と言われたこともある。

母親に対して「どうして?」と思うことだらけで、結局「正しい和解」なんて幻想なんだと今は思って決着しているわけだが、

とは言え、父と母が巡り合ったから自分が発生した、という事実に過不足ない感謝の気持ちが生じたのは最近のことだ。

 

 

 

これ泣ける。

 

 

ま、色々と含めて、魂の仕組みに乾杯!って感じかな。

 

 

ヒカルちゃんのことがとても好きになった。

さらにワールドワイドに活躍してほしい。

 

読んでくれてありがとう。

またねー!