わたしたちの人生そのものが修道
なぜならわたしたちはすべて、あらかじめ決まった道を歩いているに過ぎないから。
一歩一歩、その道を歩んで、時に立ち止まったり、路地に入って迷ったり、戻ったりするというルートを、地図を持たずに歩いている。
その人生の終わりは、道を修めたということ。
どの道を通っても、最後は正解だったとわかる仕組み。近道もなければ、誤った道もない。
人それぞれ読むことのできない地図を、実は持っていて、あなたと、あなた以外のすべての人、同じ地図は二つとない。
聖地とは、わたしたちの身体そのもの。
なぜならエネルギーはすべての人の体内に宿り、その人を通して具現化されるもの。
このエネルギーは無尽蔵で絶え間なく、惜しみなく流れている。
いかにキャッチして、いかに放出するか。この循環。
巡礼とは、わたしたちの人生の道行き。
なぜならどのルートも、どのポイントも尊いもの。あなた以外の人の道を歩こうとしないこと。
革命とは、自分の中に起きること。
なぜなら自分の中だけに気づきが起きたら、それまでの思い込みや、あらゆる記憶の固執はなくなっていく。
固定観念からの解放。経験からの解放。自分で自分を解放する。
縛られた自分を、縛っていたのは自分だと気づくこと。
すべてのことは、わたしたち自身の中にあって、外に求めても見つからない。
すべて、自分が生み出している。
すべてすべてすべて。
いちばん大切なことは、あらかじめ、あなたの中にセットされている。
鍵を開けるのはあなた。