本当は時系列で旅の様子を綴るのがいいのかも知れませんが、脳みその容量が少なく、次から次へと忘れていく性質ゆえ、早く先に伝えたいことを。
今回の旅でいちばん感銘を受けたのは、モノでも場所でも、おしゃれなんかでもなく、実は「フランス人」です。
フランス人はありようを変えた
昨年、10年ぶりにパリを訪れ、「パリの人たちが親切になった!」と驚いた。
その話に、やはり毎年パリを訪れているフラワーコーディネートの先生も「やはり、そこ、気づきましたか?」と。
そっか、わたしだけが感じているわけじゃないんだ、、、、。
かつて、フランス人と言えば、一癖あるというか、なかなか手放しに感じいい人はいない、というか。シニカルでアイロニカルな会話を好むというか、時にそれが行き過ぎて感じ悪いというか。「パリは綺麗だけど、人がね〜、、、、」というのが世界の共通認識みたいなところがありました。
だけどむしろそれがフランス人というもの。良いでも悪いでもなく、そういうもの、と思っていましたし、それがむしろ嫌いではなかったわけですが、
とにかく、今は違う!
学生時代、フランスに留学していた友人たちからは「パリ以外の町では、割とみんな親切だよ」というようなことを聞いていたけれど、パリジャンも、今はめっっちゃ親切です。他の町でも、どこでも、とにかく、信じられないぐらいに彼らは親切で感じがいいのです。
そして、なんというか「上機嫌」なのです。
わたしは、上機嫌な人たちが好きです。見ていて気分がいい。
笑いを提供することなくいつも文句を言っている人、ブツブツ言っている人の姿は、あんまり心惹かれません。
些細なことですぐに腹を立てたり、理解できないことに対して脊髄反射で嫌悪を示す人たちも、好きではありません。だって、つまんないから。
考察好きなわたしとしては、このフランス人の変容が世界共通テクノロジー発展のおかげと、もう一つは「世代交代」、それからやっぱり相次ぐテロが、彼らの中に何か自省を促したのではないか、、、、と考えています。
もちろん、これは確かめようがありません。わたしの推察です。
今回、友人(妻:日本人&夫フランス人)宅に滞在していたわけですが、彼女がフランスに来て10年。彼女もやはり、以前の彼らはこんなに親切ではなかった、と言います。
この10年の間に何かが劇的に変わったと。
「パリはいいけど、フランス人が不親切で嫌だ」というもっぱらの評判を、若い世代が「よろしくないこと」と捉えて、ツーリストに親切な町であろう、という気運を作っていった、という説もあるみたい。
英語の教育が浸透したせいで、誰でも英語を喋るようになった、のもあるらしい。
けれども言語の話はそんなに大きなことではないように思います。
この人たちには絶対かなわないな、と思ったこと
いちばん心に残ったエピソードを書いておきます。
ボルドーからルルドに向かう時のこと。
夕方18:00過ぎのTGV(新幹線フランス版)に乗って、20:40にはルルドに到着の予定でした。
その日も酷暑でしたが、ルルドのあるピレネー地方はお天気が悪いみたい。
あらかじめフランス国鉄から、「悪天候のため順調な運行ではないかもしれないが、定刻発車する」旨がメールで送られて来ます。
(とにかくフランス国鉄のIT化は日本の比ではありません)

で、ボルドーを出て1時間もしないうちに、列車は速度を落とし、ストップ。
「行く先の悪天候で注意しながらの運行になる」件、車内アナウンスで入ります。
「ふ〜ん」という感じで、乗客一同、特に驚いたり、なんでもありません。とてもなごやかです。

そのうちに、わたしたちの車両は電源が来なくなりました。つまり誰もデバイスの充電ができない。
そして通常は320キロで走る列車は、「江ノ電の方がまだ早い!」という速度でしか進みません。
でも、誰もイライラしたり、声をあげたりしません。誰も、です。
そのうち、「嵐で樹が線路に倒れたのを撤去している」というアナウンス。
Ooh la la(やれやれ)とは言うものの、それ以上のことはなく、皆平然としています。
結局、しまいには、全く動かなくなった列車の中に3時間、閉じ込められたわけです。
これがイタリアだったら、、、、と想像してみました。みんな、口々にぎゃあぎゃあ言って、大変です。そして自分だけうまいことやろうとする人が続出しますが、どうにもならないことに気づいたら大人しくなり、みんなで文句をおしゃべりし合う、、、というパターンです。
日本だったら、、、と想像してみました。もっと大変です。
絶対キレる人います。絶対に。
「何時にどこの仕事があるのにどうしてくれるんだ!」とか、各自自分の都合を盾に、乗務員を吊るし上げるでしょう。
ところが、わたしが見た光景はそのいずれでもなく、平然としたフランス人たちの態度です。
この車両全体の電源がやられている、といち早く察した人が、その件を口頭で触れ回る。前後の車両の電源は生きているよ、と。
そして、前後の車両の乗客たちは、代わる代わるみんなに充電を供給しています。まったく平然と。
それは個人主義が徹底してまわりきった先にある、本当の連帯なんじゃないかと思いました。
それに、このどうにかしてくれよと誰もが思っても、誰にもどうにもならない状況、ましてや誰かが悪い訳でも責任問題でもない状況を、みんなそれぞれ不愉快になることを避けて、見知らぬ人同士軽いおしゃべりなどして時間を過ごすのです。
隣の席では女の子がトランプを配り始めました。
そこにあるのは、合理的な冷静さと連帯感。ユーモアとウィットです。
特に、こんな状況でもあちこちからケラケラした笑い声が聞こえてくることはある種の感動でした。笑い声の主はだいたい女性で、何人かの女性が集まれば必ず笑いが発生する。それをわたしは「オバハン力」と名付けました。
そうこうしている間に車掌が現れました。
登場するなり、「みなさん、わたしを責めたい気持ちがあるでしょうが、責められても、わたしも最善の仕事をしているまでです」と「上機嫌に」口上を述べ、みんなもそれをニヤニヤしながら拍手で迎える、という、まるで映画のような光景。
オバハン力は窮地を救う
わたしはこの幽閉された時間が、おそろしく素敵な光景を見せてくれたと感じました。
あんな状況下で、イラっときてない人なんかいないはず。
でもイライラを表現するなんて、みっともない。そんな彼らのエスプリ(精神)、つまりプライドを見せつけられたような気がして、「ああ、大人の国だなあ。成熟しているなあ」と思ったのです。
豊かさとか余裕って、切羽詰まった時に表れるもののような気がしました。
そういう態度を目の当たりにして、「やっぱりフランスはおしゃれだ!」と素直に思ったのです。
つまり、洒落ているのです。形のあるものからないものまで。
そんな訳でルルド到着は深夜1:00近く。
でも、車内が和やかで変な緊張もなかったおかげか、そんなに疲れたという訳でもなかった。
わたしはボルドーからルルドまで江ノ電で行った、と思えば、まあ、それぐらいかかるか、むしろ早い!ってなもんです。
わたしも立派な「オバハン」である以上は、真の「オバハン力」あふれる人間でありたい。
緊急事態に、トランプを持っているとか、頭の中から飴玉を出す(黒柳徹子)とか、それもなければちょっとした笑い話で退屈をしのげる、そんなスキルを持った人でありたいものです。
結局、笑いに勝るものはないのです。
それが今回の旅で得た、大きな収穫のひとつでした。
わたしの得た感銘が伝わりますように。
最後まで読んでくれてありがとうございました。