マリー・アントワネットがたびたび呼びかけてくる
わたしが「クロワッサン」に固執しているからでしょうか?
今回のフランスで、「クロワッサンとの邂逅」があり、不思議なもので別に初めて食べたってわけじゃないのに、「え、こんなに美味しいものだったっけ?」と、あらためましてこんにちは!的に。
クロワッサンに目醒めてしまった。
いやーーーー、美味しいクロワッサンが食べたい。
呪文のようにそればっかり。そして、真の(わたし好みの)クロワッサンを求めて、美味しいという声を聞けばそのお店のものをチェックしています。
でもね、この執拗な湿気に覆われた日本、ましてやこの季節はクロワッサン向きではなく、ほぼ絶望的です。
冒頭に戻りまして。
たびたびマリー・アントワネットが夢に出てくる。
そして何か言いたそう。。。何かを伝えようとしていますが、なんだかわかりません。会話ナシで終わるのです。
「パンがないならお菓子を食べればいいじゃないの」
この有名な彼女が吐いたとされるセリフは誰もが知るところ。そして彼女は高慢で鼻持ちならない女、庶民が苦しんでることも知らずに!
処刑されて然るべきバカな妃。
まーほとんどの人が、彼女をそういう風に思っている。
だけど、、、、、
「パンがないならお菓子を食べればいい」。それはそんなに暴言なのでしょうか?
わたしは今、クロワッサンを食べたくて食べたくて、喉から手が出るほど欲しい。だけど求めても叶わない。
あのセリフを思い出し、それじゃあ、、、と「鳩サブレー」を食べました。
「やっぱりうまい、、、!」
安定の美味しさです。実に満足です。いつでも裏切られることはありません。
マリー、あなたの言ったことは真理だった。。。。
なぜかわたしは特に理由なく、昔から彼女をとても気の毒に思っていました。
だって、そもそも庶民ではない人が、庶民の気持ちがわかるはずがない。物資あり余る宮廷の中に暮らしていたら、どうやって下界の飢えた人たちの状況を分かり得るのか?
むしろ彼女の首をはねて大喜び、という気持ちの方が、わたしは正直わかりません。
鎌倉にいて、美味しいクロワッサンをよこせ!と「たった一人の暴動」を起こすぐらいなら、鳩サブレーを食べて満足したほうが平和だし、上機嫌です。
むしろ極めて合理的な発想の転換。
いや、待てよ。だいたい本当に彼女はそんなことを言ったのだろうか?
マリーアントワネットって、そもそも何なの?
グーグル先生からのWiki。
マリー・アントワネット(Wikipedia)
一気に読んでしまった。
これ、あなたもマリー自身になったつもりで、読んでみて欲しいのです。
要約すると、
実家の権力拡大のために、見たこともない相手と結婚させられた。その時14歳。
それまで好きなことをキャッキャやれてたのに、知らない土地に行って籠の鳥にさせられる。知らない言葉も勉強しなきゃいけなかった。
子供ができたら、遊びはきっぱりやめた。自分の教育方針を持ってまっとうに育てようとした。
旦那が昇級したので、自分も自動的に王妃という立場になった。
本人の浪費は特にしなかった。自分用の新築物件購入などには興味なかった。
職場で慣例的に続いていた無駄と非合理を廃止してスリム化したり、おっさんたちの見栄を無意味なものにしたせいで妬まれて嫌われた。
濡れ衣の風評被害を一身に受けて、なりすまし詐欺の被害者なのに、気がついたらパリ中の人間が自分を憎んでいる。
罪らしいことは何もしてないのに、捏造されたデータで有罪に。
そして公開死刑。
、、、、どうなの?こんな人生。
マリー・アントワネットの名誉回復には、結局死後30年以上を要した。現在では、後述の「パンがなければ」の発言をはじめとする彼女に対する悪評は、そのほとんどが中傷やデマだということが判明している。
マリー・アントワネットに対するフランス国民の怒りは、むしろ革命が始まってからの方が大きかったと言われている。フランスの情報を実家であるオーストリア皇室などに流し、革命に対する手立てが取れない夫ルイ16世に代わって反革命の立場を取ったことが裏切り行為ととられた
今では名誉回復がなされたとはいえ、いまだにあのセリフと、鼻持ちならない最悪な女のイメージは世界中に浸透している。
やっぱり気の毒だと思う。それも究極の。
しかもここ!
なおフランスを代表するイメージであるクロワッサンやコーヒーを飲む習慣は、彼女がオーストリアから嫁いだ時にフランスに伝えられたと言われている。
まじか!知らなかった!
やっぱりクロワッサンにロックオンしたことで、彼女が何かを言いたくなったんだ。。。
(「Wikiを見て!」かも知れない)
坂ノ下修道院 &マリー・アントワネット
そしてわたしは決めました。
先般からアナウンスしている「修道院のパン」の販売には、彼女とコラボすることを!
このアイディアにパンの作り手も賛同してくれました。
これは
真偽を確かめることなく、善悪の決めつけによって一喜一憂する「行為」というものに対するささやかなアイロニー
にするつもりであります。
人は状況に不満を持ったとき、誰かを悪者に仕立て、その人を裁き、一瞬は何かが満足するかも知れない。
けれども、それは本当の敵ではなかったと知った時、その満足も同時に霧消するでしょう。
わたしたちホモサピエンスはいつまでも、そんなトリックから抜け出せずに、なんどもなんども、同じことを繰り返してきたのです。
いい加減、そういう連鎖から抜け出した方がいいと思うのです。
クロワッサン転じてけっこう真面目なこと言いました。
コラボの内容はまた今度!