左右「非」対称アクセサリーの効果

坂ノ下修道院のアクセサリーは、左右を非対称にしていることが多いのです。

例えば、最近つくったこれも、あえて一点、ガラスを入れました。

 

これ、実はエネルギーに関して、なかなか効果があるということを知りました。

 

「音とエネルギー」の研究をしているある方から聞いてものすごく納得できた話なんだけど、今日はこれが理解されようとされまいと一気に書きます。

 

「こちら側」と「あちら側」というものがあります。

仮に、わたしたちが属している世界を「こちら側」、それ以外の宇宙を「あちら側」だとします。

この世とあの世と言ってもいいかもしれない。

 

でね、完全なる左右対称というものは、自然界には存在しないらしい。

人間が人工的に作るもの以外は。

 

例えば人間の顔も、左右が完璧に同じ人はいない。

もしいたら、わたしたちの視覚はそれを知覚した時、人形っぽいとかロボットっぽい、とすぐに感じてしまうでしょう。

つまり「この世のものではない」と自動的に感じる力を人間は持っている。

 

でね、例えばギリシャの神殿、ローマの教会、ギザのピラミッド、日本でいうなら神社の鳥居、平等院鳳凰堂とか

東南アジアのヒンズー教寺院とか、もう世界の宗教施設(新しいものじゃないやつ)、これすべてが

完全な左右対称に作られている。

どれか検索してみてください。意味わかるから。

あー、そうだ、古典的な「お墓」なんかもそうかもしれない。

 

 

で、それらは「特別にこの世のものではない」装置として作られている。

何か神聖なもの(聖霊とか)が宿っているんじゃないか、とわたしたちの「無意識の領域」が感じるようにできている。

そこで人間は両手を合わせて(左右対称のポージング)、「あちら側」に祈りを届けようとしたりする。

これだって、お祈りをするとき人間は多分無意識に左右対称のポージングをする。

 

左右の対称性ってのはそういう作用があって、無意識領域で「あちら側」へのチャネルを合わせようとする。

左右対称とは、いわば神聖なエリアへの扉。その向こう側に「あちら」があります。

例えば鳥居の向こうに階段があって、その先にお社がある場合を想像してみてください。

なんだかそこに吸い込まれるような感覚で階段を登って行くでしょう。

 

 

で、左右対称をリズム(ビート)に置き換えると、規則性ということになる。

 

人間の心臓はひと時も休むことなくビートを刻み続けているけれど、一定と思いきや、そうではなく、知覚できるかできないかぐらいの誤差がある。

いわゆる「1/fゆらぎ」というもの。

だいたい、急ぎ足になったら心拍数が上がるし、クールダウンすればまた元に戻る。つまり変化がある。

それが生きているっていうこと。

つまり「命=エネルギー」というものは不規則性あってのことだってことです。

 

 

で、人が死に向かうとき、だんだんとこの鼓動は一定性を持ってくるらしい。もうゆらぎがない、正確な脈拍(ビート)に。

この一定のリズムを知覚して、魂は安心して「あちら側」に向かう準備をするらしい。

 

ビートでいうと、デジタルの、いわばプログラミングされた正確なビートって、それだけ聞いていたらすごく退屈になる。

グルーヴを生まないから。

そこに、他の旋律やヴォーカルが入ってグルーヴになる。

 

グルーヴというのは、人間の躍動する生命の共振によって生まれるものです。

 

で、不規則=左右非対称なものっていうのはつまり「こちら側」の世界。

あまりに不規則だと混沌としたカオスになる。カオスってエネルギーが入り乱れている状態。

 

エネルギーは「あちら側」から「こちら側」にやってくる。

送信は規則的、受信は不規則的なものだと考えればわかりやすい。

 

 

アクセサリーに関して言うと、規則的なものは、いわゆる「ちゃんとして見える」効果があります。

どうしてちゃんとして見えるかは、さっき言った無意識の領域が神聖さや崇高なものを感じるから。

不規則なものは「遊びごころ」とも言えるけれど、そこにはエネルギーが集まる。

 

 

坂ノ下修道院としては、身に付ける人にエネルギーをもたらしたい。

だけど不規則すぎてカオスにならないよう、色彩やバランスを考えてデザインしています。

 

わたしは今日のこの話を聞いたのはごく最近のことで、左右非対称につくるのはずっと無意識にやっていたことでした。その方が面白い、とかその方がかわいい、とかの理由で。

 

そして身につけて「なぜか元気になる」と言ってくれる人が多いのは、わたしが上機嫌で高い振動数を持ってつくっているからだけではなく、もしかしたらそういう効果なのかな、と思った次第。

 

たった今、サンプルができたばかりのこちらも、

不規則な一連だけでは、何かさみしいと感じ、規則的なものを重ねたら、すごくおさまりが良くなりました。