人は会うべくして人に出会う

昨日、観音さまみたいな人にお会いしました。

仮に観音さまが地上を歩いているとしたらまさにこんな方だろう、というような。

 

実際に目の前に行くまで、というより行ってからも、

わたしはその方がどんな人で何をしているのか、まったく知らずにおりました。

 

だからどのようにしてその方のところへ?

というのはわかりません。

今、この人に会いに行かなくては!

と強く直観して、ご連絡を入れたところ、特別にお時間を割いてくださいました。

 

とにかく、なんだか、急いでお会いせずにはいられなくて、とお伝えしたら

それが伝わっていたので、わたしも特別に時間を設けましたよ

と仰ってくださり。

 

 

その方のお部屋へ行くと、えも言われぬ芳香が充満しています。

「癒される」という言葉を簡単に使うのは好きではありませんが、

まさにその言葉以外に表現できない香りで、

この良い香りは何ですか?とたずねたら

特に香りは焚いていませんよ、と。

 

その時、わたしは、よく、

あちこちでマリアさまが出現するときに「えも言われぬいい香りがした」

と言われていることを思い出し、

きっとこんな香りなんだろうなー、、、と考えました。

 

 

その方は、観音さまの絵を描いていらっしゃいます。

壁にはいくつかの作品が掛けられています。

その絵を見ているうちに、涙腺崩壊です。

 

あ、、、、

という感覚です。

ルルドで沐浴を受けた時も、同じでした。

 

 

そこでは、完全にリラックスして、

わたしが着ている、ありとあらゆるコートを脱ぐことができました。

もちろん比喩です。

つまりこれは一種の沐浴だったんだと、後で気づきました。

 

 

わたしは話したかったことを全て話し、

ほんとうに欲しかったアドバイスをいただき、

 

そして、この中からピンとくる観音さまを選ぶように言われました。

 

 

わたしが選んだのは2つ。

昔から、ひとつだけ選ぶということができないのです。

 

それは、全く対照的な2つの姿で

 

ひとつは、やさしく小さな天使のような観音さま。

もう一つは、人知を超えたエネルギーを表した観音さま。

 

天使は、ほんとうにケルビム天使だと思って選びました。

その衣装は、ピンクとエメラルドを日本画に変換したものだと感じました。

これは、小さな子供時代のわたしだ、と言いました。

 

手にとって見て、と言われ、驚愕したのは

その衣装には、「延命十句観音経」が書き込まれていたのです。

そのお経は、わたしが円覚寺の幼稚園で、毎日意味不明ながら唱えていたもので

今でもソラで唱えることができます。

ちょっと震えが来ました。

 

確かにこれは子供時代のわたしだ。

 

 

もうひとつは、富士山が噴火する如く、圧倒的なエネルギーで、

時空の上に立つ姿。

こちらは力強く、スカッとするけれども、同時になんだか、とても畏れ多い。

だけど、このエネルギーは、わたしの中にもあるものです、と言いました。

 

 

あなたは、自分のことがよくわかっている。

これからこの姿になっていくのです。

ここに来た人が選ぶものは、みんな自分の姿なんですよ、と言われました。

 

 

それを知って、嬉しいというより、

ああ、そうなんだな、、、という、ある意味諦観のようなもの、

そう、何かを諦めることだな、

と思いました。

それは言葉で表現できるものではないのですが。

 

 

ともかく、今の自分がとても必要としていた時間でした。

 

 

それはなんだか、宇宙的な胎内のようでした。

 

 

お茶とともに出してくださったお干菓子が、亀屋吉永特性のキティちゃん。

その方は全く知らないことですが、わたしは無類のキティちゃん好き。

そして亀屋吉永も子供時代にものすごく馴染みのあった京都のお菓子屋さんです。

何か、すべてが用意されていたんだな。

今日、ここに来ることは、前から決まっていたことなのだろう。

そんな感じでした。

 

 

観音さまというものは、そのまま西洋に歩いていけばマリアさまと呼ばれる存在です。

女性を助けてくれるのは、やっぱり女性なのかもしれません。

 

 

直観というのは、宇宙から与えられるもので、そこに従っておけばまず間違いない。

宇宙は広大で、実はとても狭くもある。

だってそれは空間ではないからね。

 

いろいろと感謝たえません。