人生は修行なんかではない

 

いやーーーー

今年もまた、無事に登り、無事に下りてまいりましたよ七面山。

本来ならば富士山頂から昇るご来光のために秋分の日に登るのですが、今年は台風やら何やらでズレズレになってしまいました。

が、ともかくこれは年中行事。

やらないことには気が済まない。

* * *

 

このお山に登り始めたのが2010年。

今年で7回目となるわけですが、途中、足の捻挫で断念した年があって、

その年はなんだか1年やりきった気がしなかった、不思議なお山です。

 

毎年登って思うのですが、

はっきり言って登山道としては、まったくなんの面白みもない山。

というのも、ここは日蓮宗の聖地で、「修行のお山」だからなんですけど、

道中から素敵な景色が見えるでもない、可愛らしいお花が咲いてるでもない。

一切の「平地」がなく、とにかく斜面を登って登って登るだけ。

もちろん日蓮宗の方々にとっては、信仰上の大切な意味があって登るわけですが、

だけどそうじゃないわたしのような者にとっても、

一度登ったら、どういうわけだか、必ずまた行きたくなる。

実に不思議なものです。

そしてわたしはこの山に登り続けることで、確実に何かを「発見」するのです。

 

* * *

登り始めたころ、わたしはこれを年に一度の「修行」だと思っていました。

だって、本当にキツいんだもん。

キツくてキツくてキツい。

「もうイヤだ!無理!なんでこんなことやってんだろ?まじでやだ」

という、きつすぎて声にも出せない心の奥で叫びながら、死ぬ思いで一歩を前に出し続ける。

心折れそうになる自分との戦い。

 

そして登りきった時、

自分よくやった!頑張った!やればできる!

的な感慨を味わう。

そしてまた死ぬ思いで下山し、もうイヤだ。二度と来ない!

と思い、また次の年、登る。。。

* * *

 

そんな「登り方」を何年か繰り返した後のある年、

突然、道中で何か本当にわたしは「悟った」のです。

 

それは端的に

これは修行なんかじゃない

ということでした。

 

その年も、いつものように、

つらい、苦しい、

今日登ることがわかってるのに、なんでトレーニングしなかったんだろう、、、

などという、

「今そんなこと考えてもどーーーーーしょもないこと」

を考えながら登っていました。

 

 

だけど、なんだかふと

「ん?待てよ?」

と思い始めたのです。

 

わたしは今、「自分 VS 山」だと思っている。

このキツい山を登ることが修行だと思っている。

 

しかし本当にそうなのか?

この山はむか〜〜しからここに「いる」わけで、別に、人間に修行させてやろうなんて思っていない。

それに彼にとって自分は山ですらなく、ただの地面、自然に過ぎない。

そこに意味性をつけたのは人間であって、勝手に修行だと呼んでいる。

この道のりに「勝とう」としている。

でも彼は存在しているだけなのに、それって失礼なことなのではないか?

それにわたしだって単なる自然の一部であって、今は山の一部になっている

ここにいるたくさんの大きな樹たちと同じように。。。。

 

と思ったら、

なんだか知らないけどものすごい勢いで、

「嬉しい、喜び、感謝」

ありとあらゆるそれ系のもの

が、わたしの中で一気に噴出して自分でもわかるほど顔がニコニコしてきた!

 

それで、さらに、

つらいとか、苦しいとか、

そういうものを味わうのも、こうして生きているからで、

それはなんて素晴らしいことなんだろう。

またこうしてこれを味わえる自分、なんて幸せなことなんだろう!

「まじか!なんだこれ!この喜び!」

嬉し過ぎて涙が出た。

 

 

と同時に、自分の驚くべき冷静さで

「この境地はヤバい!ナニカが来た」

とも思っていて、

その一連の「気づき」のようなもの、多分数秒のうちに起こったことなんだけど

「それ以前の自分」を

ものすごいねぎらい感

をもって、その姿を見送った

みたいなことが起きたわけです。

 

 

そしたらふと、足が軽くなって、

信じられないことに、以降、山頂まで、

一切、つらくなくなった

楽々登れたのです。

それまで毎回5時間ぐらいかかっていたのが、3時間ぐらいで登っちゃった。

* * *

 

で、その時の数秒でわたしが知ったのは

人生は修行なんかじゃない

ということです。

 

つまり「修行だ」と設定するから、それは修行になってしまう。

「何かを達成するためにはつらい道のりが必要だ」という設定です。

 

しかし、わたしは言いたい。

 

そんなもん嘘だ。

 

「何かを達成するためにはつらい道のりが必要だ」は、

誰が決めたのかさえ知らない、ひとつの固定観念であって、真理では一切ないです。

 

なのにそれを無意識に受け入れるから、

それが呪詛となって、

「達成」は「つらさ(苦労)」の交換条件になっている。

 

しかし、多くの「つらさ」は、

実は何ら「達成」とは関係していない。

 

このことに気づいてから、

わたしは「修行」という概念を、自分の人生から除外しました。

そんなもんは必要ないのです。

 

だいたい、つらいと思って登ろうが、

キャッキャしながら登ろうが、

時が来れば太陽は昇り、その光はあまねく届き、そしてとってもあたたかい。

むしろ、そっちが真理です。

 

* * *

それと、以前「吐く息と吸う息」についての記事を書きましたが

息を吐くという行為は、とても能動的なことです。

そして人間が何かに取り組む時、能動的にやることは苦痛ではありません。

 

だから今回の登山では、実はひどい風邪をひいていたので

息を吐くことに注力して、登り切りました。

 

 

山頂では敬慎院という宿坊があって、そこで行われる勤行は最高に素敵です。

今年は修道院のためのご祈祷をしてもらうと決めていたので、

ほら!

「修道院ですか?」みたいな野暮なツッコミを受けることなく受理され、おつとめでは念入りに読み上げていただけて超感激!

 

登るたびに何か「お宝」を手に入れる七面山。

全然面白くないんだけど、大好きなお山です。

 

 

そんなわけでめちゃくちゃパワーアップして下山しました!

 

これからますます良いものをジャンスカつくっていきますよ〜

 

 

 

読んでくれてありがとう!

またね〜!