お金、この不思議な存在について(1)

 

ケシーちゃんが今月末、代官山でのトークイベントで「お金」について話すらしい。

わたしも行こうと思ってる。

どんな話になるのか興味津々。

というのも、わたしも最近お金について「発見」したことがあったんだよ!

だから後出しジャンケンにならないように、ケシーより先に言っとこ!とはやる気持ちを抑えつつ、

そう、今日のテーマは「お金」!

 

* * *

 

思うんだけど、お金って変な存在だよね。

 

わたしが日本のお金に対して超不満に思ってること何か知ってる?

振動数の低い昔のおっさんの絵が描かれた紙切れで、一切の美しさがない!

ってところ。

だいたい、福沢諭吉は偉い人だったのかも知れないが、今のわたしの生活に、

はっきり言ってなんの関与もしていない。

彼の顔を見て、何も思うことはないわけね。

それどころか、なんか、見ててうんざりするんだよ。

 

あんな感じの紙だとさー

もらうのも、あげるのも、なんかその行為自体が楽しくないよ。

やろうと思えば全てがキャッシュレスで済む時代(そこ日本は超遅れてるけど)、

わざわざ「現金」の存在を残すのなら、

手にとって「きゃ♡」ってなるお金にしたらいいと思わない?

だからわたしが首相になったら、まず「お金改革」をやるつもり。やる気満々よ。

草間彌生先生にデザインしてもらうとか、あるいはサンリオに依頼するとか。

現代の日本の最高のハッピーさ

をお金に詰めるね。

一枚一枚に「LOVE FOREVER」とか「Hello!」とか書いてあったら、人々のお金への距離感て、絶対変わると思うよ。

次に渡す人のためにメッセージ書けるようにしたりとかね。

 

これについて問題は何か知ってる?

わたしが首相になる可能性が、結構低いってところなんだよ。。。

* * *

 

そこでわたしは考える。

日本という国の首相に、オフィシャルな手法でなろうとするよりも、

わたしの好きなお金が流通できる「マイ国」を作った方が早い。

この「マイ国」の建国理念に賛同する人たちが集まると「アワ国」になるわけで。

もしくはみんなの「マイ国」同士の通貨として「アワお金」が持てればいいわけよね。

 

この発想は結構イイ線いってると思うんだよね。

それで今、しきりにみんなが地域通貨とか考えてるわけよね。

テクノロジー的には、実際可能ではあるしね。

 

* * *

 

しかし、今日の話はそこじゃない。

(なんだよw)

* * *

 

お金に関して、不思議だなと思うことのひとつに、

みんなお金が好きなくせに、

お金の話をするのを嫌がる。

お金の話となると急にナーバスになる人もいる。

 

 

実際のところ、お金がなければ今のところ、生活することができないのに、

お金を欲しがったらいけない、欲しがるのは良くないことだ、

と思ってる人が超多い。

 

これなんとなく、セックスの話と構造が似ている。

 

みんな生まれてきたのは、セックスという行為の賜物であるにも関わらず

その話をするのは良くないとか、はしたないとか、

妙にかしこまって学術的にだったらイイけど、フランクに言ったら禁忌だ、みたいな

そんな風に考えている人が多い。

(はしたないって何よ?あんたそこから発生したんでしょーが!って思うけどね)

 

そしてどちらも、快楽とも苦痛とも関係している。

 

 

しかしこのタブー。

 

いったいなんなの?

どうしてなの?

 

* * *

で、どうしてなの?

と振っておいて、

 

今日は、「どうして」の話はしないw

(みんな、それぞれ考えてみてね)

 

* * *

 

それでさー

間違いなく言えるのは、

タブーだからこそ、

そのタブーの裏にあるトリックを見破って、

そこから「一抜けた!」できた人の勝ちだってこと。

(あ、もちろん「勝ち」はレトリックであって、人生は勝ったり負けたりの世界ではございませんよ、念のためね)

 

つまりこのタブーというアトラクションの中で「我慢」している間は、

本当の自由や本当の幸福を得ることはできないってことだと思うの。

 

 

つまり、お金があるからといって幸せではない。お金がないからといって不幸でもない。

これは鉄則だよ。

真理だよ。

これは間違えてはいけない。

 

 

だけど、それが必要だったり、望んでいるのならば、

それを自由に手にできるようになったらイイと思うのよね。

 

つまり、それを望んではいけない、と考えること自体が、何かちょっとおかしなバイアスだってことを

認識する必要はあると思うの。

 

そう。

「お金とマイレボリューション」

って、実はすっごく大きな問題でもあるわけ。

わたしだってしょっちゅう考えるよ。

 

* * *

 

お金ってさ、それ自体は何度も言うように、

おっさんの絵が描かれた紙

でしかないんだよね。

たとえどんな束でも、そこに「ある」だけでは、むしろその辺のおっさん以下な訳よ。

お金って自分で歩いたり動いたりできないじゃん。

あと、お金って何もないところから生まれない、っていうか

生まれたとしても「ある」だけだから紙でしょ。むしろ紙ですらない。むしろ存在すらしない。

実は銀行にお金(紙)がいっっっっっぱいあるわけじゃないわけよね。

って話をすると長くなるから割愛するけど、

 

つまりお金って、人と人の間に入って、何かの「代償」としての役回りでしか、効力を発揮しないわけね。

 

てことは、これ、なんなの?

(考えてね)

 

* * *

 

ある時ね、すっごく不思議だなーと思ったことがあったの。

 

ある人がいて、仮に名前を「トマトさん」だとします。

 

トマトさんね、自分の新規事業をきちんとやっていくために、お金が必要だ、融資が必要だ、と言うわけね。

うんうん。

これ向き合わざるを得ない現実ね。

今の世の中では、いいも悪いもなく、ある程度の規模で何かをしようとしたら、お金を借り入れしなきゃできないっていうのは「現実」です。

でね、少し深掘りして話を聞いてみたところ、、、

 

トマトさんね、「いくらの融資がもらえると、何ができる」「それ以上だと、ここまでできる」とか

そういうことは考えられていないってことがわかったの。

それから、月々のランニングを回すために、毎月いくらの利益が必要で、

それをどのように確保するか、みたいなところも、なんかぼんやりしていたの。

 

それでね、その後しばらく経って、言うの。

「あのね、わたし、お金が欲しいわけじゃないんだよ」

って。

キョトンとしてたら、2度言われた。そして解説はナシだった。

 

 

わたしはどうにも不思議だった。

 

まあ要するに、そんなに真剣に考えるべきことじゃなかったのだろうけど、

何だか、長い時間をトマトさんの話に付き合ったことが、

有り体に言えば「あー、わたしがしくじったんだな」と感じた。

(この話はいくらでも分析して答えを出すことができるんだけれど、まあ本題ではないから、今はいいよね)

* * *

 

こういうケースって何だろう?

なにかお金を特別視しているというか。

 

必要ならきちんと求めたらいいはずなのに、重圧になってしまったり

「無理だ」とか「そこじゃない」とか、何か回避するように考えてしまう。

それはトマトさんのケースだけじゃなくて、けっこうあちこちである話なんじゃないかなって気もするの。

 

それぐらい「お金」は、正しく認識しないと、人の心理に影響してくる。

心理に影響どころか、

「やりたいこと」つまり「行動」を制限する要素になるんだよね。

 

 

 

ってところで、疲れたから続きは明日!

 

 

読んでくれてありがとう!

 

またね〜〜〜