修行系とノン修行系。ついに前世問題にケリをつけた!

 

今日は超個人的な不思議系の話。なんのこっちゃ要素多しだからどーでもいー人はすっ飛ばして!

でも結構深いんだよw

 

 

こないだ金子さん(説明は省くがとにかくスゴいおっさん)にお会いしたら、

一目見るなり

「ありゃ?教会から変なものつけてきちゃったね」

と言う。

ポカンとしてたら、「こないだヨーロッパ行ってたでしょ?」と。

 

 

あーあーあー!

そーいや途中からめっちゃ体調悪くなって、帰国後も長いこと本調子じゃなかった!

「それそれ」

と、ゆーことで、いろいろと見てもらった。

 

そこで判明したのは、

体調悪くなったのは、わたしとモンサンミッシェルの「相性」がよくなかったから

(なぜかと言うと、あそこは「修行系」、わたしは「ノン修行系」)

ってことで、まあいろいろと納得いった。

 

 

モンサンミッシェルは島内から大西洋に沈む夕日を見たのは地球の奇跡と言えるような美しさだったけど、

 

修道院自体は暗くて厳しくて、100年戦争の爪痕もあるし、わたしの感覚で言えば「いやな感じ」。

何よりすっごく地味で威圧的だったので、はっきり言って、ぜんぜんなじまなかった!

全体的にこんな感じ。

すごい施設なのはわかったけど、暗くてなんかうんざりしてくる。

 

わたしは教会はもっと煌びやかなほうが好き。ホッとする。

いつも言ってるけど、とにかくキラキラしていて色がたくさんあるところがホッとする!

 

(そうだ、モンサンミッシェル訪問記は別途書くね)

 

 

まーとにかく、モンサンミッシェルはそういう「修行系」の人たち(霊たち)の場所だから

彼らにとってはわたしのような「ノン修行系」の人間はムカつくらしいよw

だから「オメーのくる場所じゃねーんだよ!」的に嫌がらせした。

わたしから身を守る盾を取り上げたらしい。

で、わたしは具合悪くなってしまった。。。。という話。

 

 

金子さんはニヤニヤ笑いながら

「ダメだよ〜、あなたはあんなとこ行っちゃ〜」と言うんだけど

早く言ってよ!

まったくもーw である。

 

 

「修行系」と「ノン修行系」。

 

 

すっごく簡単にいうと、悟りを得るのに修行なんかいらない、自分の魂に従って強く願えば良い。

生きてること自体が「愛」なんだよ。

人生の目的は悟ることにあるわけではなくて、

愛を味わい、したいことを実現したり、表現したり、無条件でことにあたること

その先にどんどん、愛でできた世界が広がっていくよ

というのがわたしから見えている「世界」なわけだが、

この「ノン修行系」の考えはジーザスの「派閥」で、

「修行系」を特定した言葉でいうと「エッセネ派」の流れってことらしい。

そーゆー対立が見えない世界という「業界」でもいろいろとあるみたい。

 

 

しかし、これはわたし、現実の世界でも非常にピンときた。

もう決定的にピンときた!

 

 

昔から、わたしを快く思わない人たちは必ずと言っていいほど

わたしが「簡単にやり過ぎる」とか「努力なく成し遂げる」とか「楽しそうにしている」

つまりヘラヘラしてる(ように見える)ことに対して「如何なものか〜ろくなものではない」というスタンスで

わたしを嫌った。

 

先生とかがまさにその例で、

受験が終わった時に高校のある先生は

「あなたみたいに何もいうこと聞かなかった人が普通に合格して大学に行くことが悔しい」

と、面と向かって言ったのがいて、

その顔が、あまりに悔しさ全開だったので

「いい大人なのに、気の毒だなぁ。。。」

とわたしは思った。

 

入社の面接の時は、人事のおっさんに

「あなた、どうして働く、働くのは何のためですか?」

と聞かれたので

「・・・世の中を知るため?何もわかってないので」

と答えたら、また物凄い剣幕で

「あのねえ、人はみんな生きるため、生活のために働くんだよ!甘くないんだよ!」

と言われて、

言われたものの、「(そうなの???)」と思って、

モチベーションはさまざまでも、結果に向かって仕事するのが会社なんじゃないの???

と思っていたわたしは、彼のすごい形相を見て何も言えなくなった。

そして入社してからそのおっさんはわたしと一度も口をきいてくれなかったw

 

それぞれ象徴的なことだと思う。

 

まーこれ系のことは枚挙にいとまがないんだよw

 

生きにくい、というより、

常に「自分とそれ以外の世界」という風に感じていましたよ。

 

 

努力ってなんだろう?

それをなし得るために、すごい犠牲を払ったり、ちょっと苦痛を伴うもの

という風に考えるならば、

わたしは、何かに関して

努力した

という実感が、ほとんどない。

楽しいと感じて夢中になってやることで、勝手に身についたことの方が多い。

 

でもなんとなく「努力してないから自分はダメなんだ」と思っていて

努力(すごい犠牲を払ったり、ちょっと苦痛を伴うもの)の先に得るもの、の世界をわたしは知らないんだ

という風に考えていた。

 

でも、一方では

自分がものすごい努力をしてまでなし得たいものってなんだろう?

と考えると、

特にない

ということも知っていて、

逆に言えば、絶対これだけはどんな努力を払ってでもやり遂げたい!

というものに出会うことがあるのかも、と思って楽しみにもしている。

 

 

で、修行系というのは、修行自体が目的になっているケースのこと。

修行のために修行する。

戒律だったり、規則だったり、定められた「枠」を遵守して

そこに従うことをよしとすることが善で、従わないことが悪である。

個人の意志や希望といったものの存在感は薄くなって、

決められた物事にしか価値を置かない考えだったりする。

例としては、

スポーツとかで、「試合に勝つ」ことが目的ではなくて

決められたトレーニングをこなすこととか、

そこに整合性がなくても、先輩やコーチの言うことを無条件で受け入れることが美しいとする考えとか、

そんな感じ。

指導する側も、なぜそれが必要なのかというよりも

「決まりごとだから」とか「伝統だから」「上長から言われたから」みたいな話で、

勝つためにどうするか、は二の次になってしまう、、、というこれまでによくあるアレで、

最近はそれ系の社会事象が噴出している。

 

 

それでわたしとしては「ノン修行系」の世界に、

みんなどんどんおいでよ〜って言う役割。

 

だけど、誤解なきよう念押ししておくと、

「この修行に打ち勝った自分に自信を持つ」というのは確かにあるし、

ぜんぜん否定はしない。

でも人生の目的が修行になってしまうと、けっこう辛いんじゃなかろうか。

そして自信を得るのにいちいち修行を必要としてしまう罠にも陥る。

 

 

あれ?

わたしなんでこんなつらい想いしてるんだろう?

って、ふと考えたときに、修行の先の「ゴール」が見えているのなら

修行方法を見直すこともできるけど、

それが見えないと、単につらいだけで出口なし、ってことになってしまいがちだよね

ってことを言いたい。

 

 

で、話を戻すと、

その金子さんとの現場に居合わせた女の子(スーパー巫女さん体質で、いとも簡単にチャネリングできる)

がいて、修行系の人たちがわたしから「盾」を取り上げたらしく、それでパワーダウン。

今回、その巫女さん経由でミカエルから盾を受け取って、防御ツールを得た

みたいなゲームのような世界。

でも要するに世界ってそんなRPGなんだろう。

 

ただ、わたしの「見える」力は、そーゆーのが見える訳ではなく、はっきりいってわからない。

わからないけど、腑に落ちて納得だけはめちゃくちゃできた。

 

 

そしてさらに!

 

 

懸案の、フィレンツェ問題

について聞いてみた。

 

以前金子さんに言われていた、わたしの「前世問題」において

「それ以上は思い出してはいけないこと」などなどの「?????」が、

突然妙に気になりだして、

この夏のイタリアで、どうしてもフィレンツェには行く必要があると思ったわけだが、

 

何かわかることがあるかも、

「あ〜!」と納得するかもと、25年ぶりに再訪したら

メディチ家宮殿でどんどん気持ち悪くなって、謎解きなんかどうでもよくなった件。

 

 

 

聞いたら、

やはり、メディチ家がビンゴ!だったようです。

 

どうやら、けっこう人を殺したらしいよ。

(呼び出してくれた巫女さん、その光景を見て気分悪くなってた)

 

 

でもそれは、当時の彼女(わたし)には、

そうせざるを得ない事情(家を守るため)があったからなわけで、

しかも、極東の国に暮らす今のわたしは、

そんなこと知るかいな!

だし、

「はあ、、、、」以外に言う言葉なしよ。

 

しかし他人事ながら

彼女は修道院も保護したし、芸術家もたくさん面倒みたし

町のためにいろいろ良いこともやったんだし、、、ねえ、、、

ってかばいたくなってくる不思議w

 

 

 

とにかく、もうわかった以上モヤモヤは解決した!

 

前世のモヤモヤはとにかく、解決した!!!

 

わたしは自分の修道院を推進する!

 

途端に晴れやかな気持ちになったよ!