DNAか経験値か

この春、久しぶりにローマに行ったら、わたしはやっぱりローマが好きだと再確認した。

というのも、ローマはジュエリーショップが多く、ウインドウにキラキラしたものがとにかく多い。ミラノとは違うローマのテイストというべきものがあって、言葉では表現しにくいのだが、とにかく、まあそういうテイストがある。

そこで確信したのだが、わたしはキラキラしたものを目にしていると「心落ち着く」ということだ(アガる、ではない)。もっと言うと、ホッとする、心洗われる、本来の何かを取り戻す、みたいな感覚だ。

ああ、ローマは良い。

若い頃からアクセサリー類が好きで、気に入るものは躊躇なく買った。それは特に高価なものであったり、誰もが知るハイクラスブランドである必要はなく、明るく大ぶりで、独創的なもの、一般的でないものが好きだ。

で、そういうものは日本にはあまりない。たまに見かけるとやっぱりイタリアかフランスの輸入ものだったりする。

それが自分に似合うから、というのはもちろんだが、大ぶりなものは落とした時にわかりやすいから、というのも実際的な裏理由でもある。とにかくモノを失くしやすい。小さいものは絶対にでてこない。

20代の始めにはじめてヨーロッパを訪れて、なかでも特にイタリアとは「馬が合う」と感じて以来、なんだかんだでずっとイタリアと付き合っている。

ローマがいちばん好きだが長く住んだのはミラノだった。帰国して12年は過ぎたが、まあ第二の故郷である。実に多くのことを学んだ。

まあそれで、ローマから戻り、本来の自分に立ち返ったわけだ。話を戻すと。

ジャラジャラさせてた方がいい。キラキラさせてた方がいい。

結論だけ言うとそういうことである。

それで、どうして日本ではこんなに人がおしゃれじゃないんだろう?

という、わたしが昔から感じていた永遠の疑問を蒸し返してみた。

少なくとも、わたしが欲しいと思うアクセサリーは、ない。服も、靴もだ。ほとんどすべてが「寂しい感じ」なのだ。

そこにはいろんな原因が見え隠れする。

なんで?どうして?を、ひたすら繰り返して深掘りしていくと、まあいろんなことが見えてくる。

つまりこれは社会問題なのだ。

で、これに触れるとこの記事は終わらなくなるので、中途半端にここでやめておく。

というか、なんでこれが社会問題なのかという謎解きを、今後延々と綴っていこうと思う。

そしてこれが最も大事なのだが、この社会問題に対してわたしができることは何かと考えた時に、坂ノ下修道院を立ち上げることを決めた。

だから坂ノ下修道院は、わたしができる社会への提案だと考えている。この提案を受け入れられる方はどんどん受け入れて欲しい。そうでない方はスルーでお願いいたします。

で、どうして「修道院」なのよ?

という皆さんの素朴な疑問に対しても、今後延々と綴っていくつもり。

 

あ、記事タイトルからかけ離れてた。

本当は、先生(ジュエリーづくりの師匠)がつくるものはなんでもフランスっぽいシックさがあるのに、わたしがつくるとなんでもイタリア的になってしまうのはなんでだろう?という話がしたかっただけなんである。