手を動かして何かを創り出したい

春のある日、突然、思い立った。

いますぐ手を動かして何かを創る!生み出す!

 

なんだかそれが本当の「労働」のような気がして、理屈をこねくり回していることになんの意味もない、と急に思った。

 

それは本当に突然のことだったので、特に理由などはない。
そして「今日から針と糸を持つ」と家人に宣言した。

(わたしにはそういうことが大変多いので、家人は特に驚くでもなく「ふーん」と言っただけ)

 

13331163_1129531083765622_4221883610258624897_nそれでいきなり刺繍をすることになった。
もちろん、そんなことを今までやったことはない。

でも細かい技術を極めるというより、自由な色彩を表現したいと思ったのだ。

「やる、やりたい、やらないといけない」という脳内3段活用が起き、
←最初に始めたのがこれ。

今思うと、いきなり始める前に本でも買えばよかったが、思い立ったらすぐやらないと気が済まないので、「刺繍の基本」みたいな本はだいぶ縫い始めたあとから買った。

そのあと草花とか動物とかいろんなモチーフを一面に刺繍したが、とにかく最初に赤いハートを縫う、ということだけは決まっていた。

 

そしてこのハートのあと、次々とモチーフを刺繍していくのだが、それらはなんというか、非常にシンボリックなものばかり「降りてきた」ので、もうはっきり言って自分でやっていることなのか、それとも別な何かなのか、さっぱり分からなくなった。

 

そこで気づいた。
ものすごい集中力で針を動かしている時間、それはまさに「無」である。余計な思考も時間の概念も手放している。そして、どんなにやっても疲れない。

 

で。

あれ?神に何かを捧げているってこういうことなんじゃないの?
これってもしかして、、、、修道院で修道女が何かを作ってる感じって、こういうことなんじゃないの?

と思った。

 

そしてその感覚がとっても気に入ったわけである。

 

 

修道院。

 

修道院といえば「トラピスト修道院」。あのバター。

 

地道にいいものを作り続けるということ。

あ、それだ!とひらめいたわけである。