(1)からの続きね。
自分が写った写真を見て「死にたい」と思ったってとこからね。
そう、だからすぐにFacebookで言いました。
「誰かわたしを痩せさせて!トレーナーになってプログラム組んでください。
金ならいくらでも払う!ただし絶対痩せさせて!」
って。
(ここね、「お金の話」(これも完結してませんねw)のネタだと思うけど、実はすごく大事なポイントだと思うの)
そしたら即刻、断食指導するよってお姉さんが名乗りを上げてくれた。
二つ返事で決定。すぐやるよ!と。
その時まわりはけっこうウケてたw
わたしがめちゃ食いしん坊なの知ってるから
「断食なんかできんのあんた?」という風に。
でもねえ、
できるだろう、とかできないだろうとか、
そんなことは一切考えなかった。
やりゃいいんでしょ?やったら痩せるんでしょ?
それだけ。
だからやるのか、やらないのか、ってだけのことだよね。
* * *
で、断食自体は簡単だった。
はっきり言ってなんでもないことだった。
要はこういうこと ↓ なんだけど、ガッツリ断食する3日間を入れた前後合計6日ぐらい、ほぼ食べない。
これを一月に1回で、3ヶ月間やる。
断食初日、つまり上の図の2日目ぐらいで、いよいよ24時間何も摂取していない時間、になるわけだけど
その時一瞬「お腹すいた」とは思ったものの、
食べない、って決めたら、「食べたい」なんて思わなくなる。
それを過ぎると、もう「食べることは自分とは関係のないことだ」という風に脳が切り替わるのね。
で、3日どころか、たぶんもっと長く継続することはできたと思う。
* * *
でね、断食にトライした人の感想でよくあるのが、復食して
「食べれることがこんなにありがたいと思うなんて」というものだけど
わたしね、それを期待してたのに、まったくそんな風には感じなかった。
それより、
1週間ぐらい食べなくても、別になんでもないんだなということを知った
だったわけ。
これが強烈だった。
そして「食べない」ことで肌が綺麗になったり、身体が軽くなったり
けっこういいことだらけなのよ。
ここから、
じゃ、食べるって何よ?食事って何よ?
という意味を、けっこう真剣に考えるようになっていったの。
* * *
もうひとつ、この断食トライ期間に偶然にも、
(不食の弁護士と世間で呼ばれている、もう10年以上何も食べずに精力的に活動している)
の存在を知り、この本を読んだの。
(で、これも不思議なもので、秋山先生とは、この2年後に仕事で巡り会うことになるんだよね)
これもほんとみんなに勧めたい本。ものすごく感銘を受けた。
わたしがモヤ〜〜っと考えていたことが、そのまんまきちっと整理されていたから。
要するに、「この世に善悪がある」と考えること自体が固定観念なんだよね。
そんなもんは「ない」の。
人が、勝手にラベリングしているだけ。
同様に、「食べることで栄養を摂取して人間は生きられる」も、やっぱり固定観念に近い。
少なくとも、「1日3食きちんと食べなきゃいけない」っていうのは、
もはや「生命維持のため」というよりは
「習慣」っていう決めつけから来る惰性
に過ぎないわけだよね。
だからはっきり言えるよ
3食食べる必要なんかないんだよ。
* * *
で、そんな惰性のためにわたしたちは、
時間だから食事しなきゃとか、料理作らなきゃとか、買い物に行かなきゃとか
要するに「料理が苦痛だ」の世界の奴隷となっているわけよね。
(あ、念のため。育ち盛りの子供に食べさせる話は全く別だと思うよ!)
→ このトピックが次回(3)に続くだね
とにかくこれらのことを、わたしは断体験によって決定的に知ってしまった。
知ってしまった以上、もう元には戻れないわけだよ。
それでわたしは、俄然興味が湧いてきた。
1)食べないことを続けると、脳はどうなるの?人間が潜在的に持っている「途方も無い力」を発揮するようになるんじゃない?
2)生命って誰が動かしてるの?
で、2)に関して、これもやっぱり、その後「ドルフィン先生」というスーパー医師と出会って、
人間=振動数ということを深く理解させてもらえる機会を得ることになるんだよね。
不思議でしょ?
なんとなく関心を寄せると、絶対に現れたり、会えたり、つまり機会が与えられるんだよ。
で、何度も言うけど、そこは「ノー努力」なんだよ。
機会だけが、パラシュート部隊みたいに上から降って来る。
てな訳で、
次回は「食べるって何?」の話から
つきあってくれてありがとう!
またね〜!
「食と固定観念の話」を詳しくしたい人も「12月の新年会」きてね!!