イメルダに(ある意味)勇気付けられた

 

イメルダ夫人に実刑判決というニュースを見た。

相当なおばあさんだろうに、、、、ちょっと感慨深い。

 

でも修道院では政治とか事件に対する関心はなく

イメルダ夫人といえば靴!

というのを改めて思い出したよって話。

 

 

この「イメルダ=靴」は昭和世代、とゆーかもはや我々オバハン世代にしかわからない連想だと思うけど

とにかく、マルコス(イメルダの旦那)が失脚した時(検索したら1986年だった)

宮殿内にそりゃもうものすごい数の靴を持っていた!とゆーことが

昭和の我々にものすごい衝撃と共に報道されたわけだが。

 

今思うと、あの時代は結構いろんな「報道」が衝撃だったなあ。。。。
「ロス疑惑」とか「天安門」とか「チャウチェスク」とか「ベルリンの壁崩壊」とか。

世の中がまだ「新鮮」に見えていたのかなあ。

 

 

 

そう、そーーーんなことよりも、イメルダ=靴!で

わたしがウケたのは、結構最近見かけたこれ ↓

「参りました!」だよ。

 

85歳(2014年当時)のバースデーパーティの

ケーキが靴!

(記事はこれ)

 

 

人生の終盤にきて、さんざん非難され、揶揄され続けた自分のネタを、

自ら笑い飛ばすかのような。

見事すぎる。

グーの音も出ないw

 

 

強いオバハン

へこたれないオバハン

笑われてナンボのオバハン

楽しんでるオバハン

 

 

オバハンたるもの、こうありたいものだ。

このオバハン魂、むしろ尊敬の念すら(ちょっと)抱いた。

 

 

 

、、、、って、本人がどういう意図でやってんのか全く知らないけどねw

 

何事も、当事者以外はわからない。

 

そしてわたしは、世の中には結局「主観」というものしか存在しない

と思っている。

その人にとって「そう見える」というだけ。

誰もが、「そう見える」を基に自分の好きなように「解釈」をしているだけ。

 

 

今、彼女のwikiを読んだ。

ふむ。。。。やっぱりわからない。

結構いいヤツに思える記述もある。気の毒な部分も多々ある。

 

 

だいたいわたしは「犯罪人」と呼ばれるような人たちの中にも

なにがしか「いいヤツじゃん」とか「面白い!」というような要素に反応してしまう。

どんな人間でも「100%悪」なんてことはなかなかあり得ないと思っている。

 

 

だいたい「罪」とか「悪いこと」って一体なんだろう?

なうの社会だと、「法律」というものがそれを決定し、そして裁くのでしょうが、

だからって、それが絶対正義だとは限らない。

法律がアクチュアルな人間生活に即しているとも限らない。

もちろん、人を殺めるといったことは罪だし、あってはならないことだってのは真理と思うよ。

でも、それだって時には、当事者にしかわからない止むに止まれぬ事情ってものがあったりする場合もあるだろう。

それにもっとも悪いものである「戦争」はいつも殺人を正当化してきた。勝った側は特にね。

そして歴史はいつも勝った側の視点で記述される。

アホくさ。

 

「人を裁くのは神の仕事」と割り切ってから

もうわたしは「いい人」とか「悪い人」とか

ますますどうでも良くなってしまった。

 

 

誰にでも、瞬間的に「悪い」的な側面があるし「良い」的な側面があるかもしれないけれど、

意外と「悪い」側面でも「好き」だったり、

逆に「良い」ゆえに「嫌い」だったりするのが、

人間の面白いとこなんじゃないかなーって思う。

要するにすべて主観(それも瞬間的な)しかないんじゃないかなーってね。

だって主観て変化するでしょ。

昔は「ダサい」と思っていたX JAPANですら、

今は「ダサいことが超カッコいい」と思っている自分がいる。

 

それにものの「定義」だっていろんな「発見」によって変わっちゃうわけだし。

「キログラム」の定義、130年ぶりに変更を決定

 

そして瞬間的に生きると「固執する」ということが少なくなる。

 

 

てな具合。

 

 

だからね

何があっても、何と言われても

あんまりへこたれることはないよ

ってことは言っておきたい。

 

生きてる限りは楽しむことにしぶとくなろう!

 

 

それより本当は今日、

「靴箱理論」

について話したかったんだけど、それはまたいつか。

(いつかが多すぎ!!!)

 

 

 

読んでくれてありがとう!!

 

 

それから、メッセージもありがとう♡

わたしのしょーもない話が、何か楽になるヒントになったならほんと何より嬉しいです。

 

 

じゃー、またね〜♡