心の重石が取れました

 

今日は本当の告解みたいな話です。

家族をめぐる非常にデリケートな話です。

 

実はこのところ、わたしには非常に気がかりな問題がありました。

 

10月の終わり頃、来年には80になる父に癌が発覚したのです。

わたしはそれを予見していた。

10月半ばが父の誕生日なのですが、当日わたしの都合が悪く、お祝いを別な日にしようと提案したら母親が「来年盛大にやればいいわよ」と言い、

なぜか「来年では絶対にダメだ」と強く思った。

そして、今絶対に伝えておかなければいけないことがあると思ったので、

奇しくも2週間ほど後の、両親の結婚記念日に合わせてお祝いの席をもち、巨大な花束に据えたカードに、そのメッセージを記しました。

それは、

2人が出会い、結婚してくれたことで、わたしというものが発生し、おかげでわたしは人生を楽しむことができている

というシンプルなことへの純粋な感謝です。

 

父の癌は初めてではなく、それ自体は驚きではないし問題ではない。

なぜなら癌が不治の病だとわたしは思っていないからです。

気がかりだったのは、その治療法を巡って、父がベストな選択をしてくれるだろうか

という一点につきました。

 

ここ数年の彼らを見ていると、うまく言えないのですが、

二度目の癌手術(15年前)をしてからは、なんというか「病気に主導権を取られてしまった」とでも言えるような

慎重になりすぎて、人生を楽しむ気力を削がれている気がしていて。

案の定、今度もそれが発覚した時に父が言った

「治療法は医者が決めることだから」という言葉が、

わたしには非常に重く聞こえたのです。

 

お父さん、そうではない。

 

お医者様は治療法の選択肢を提案してくれるかもしれないが、

どのように「生きたいか」は本人の意思だと思うのです。

そこだけは、間違わないで欲しかった。

なんにせよ、自分に備わった「生命力」、つまり宇宙から与えられる自然治癒力という凄まじいチカラを自ら信じることができなければ、

どんな医療も、というかむしろ癌治療のように「諸刃」の力を持つものは特に、肉体を傷つけこそすれ、良い結果にはならないとわたしは思うのです。

良い結果というのは、80になろうとする人間にとっての「良い結果」のことを言っています。

 

どんな人間でも、生まれたら最後、必ず死ぬ。

人は死をゴールとして生きている。

ましてや父のように、昭和という時代、戦後という時代の日本を

全力で生き抜いてきた人の最終章は、

どうか安らぎに満ちたものであって欲しいとわたしは思っている。

わたし個人としては、そんな年齢の人間の身体に、これ以上メスを入れられたり、化学物質を浴びせられたり、あるいは人工的な何かを使って「生きさせられ」たりするのはどうなんだろう、、、

と思っていました。

 

元気な時の両親、つまり今より若い頃には日頃から、

人間としての尊厳が尊重されない状態で生きているのは嫌だ

といった話をよくしていていましたが

いざ、直面するとなると、

「その件は今はどう考えているの?」と切り出すことはわたしには難しく、

また、どうあれ彼の選択を否定したくもなく、

なのでわたしは、「まあ、すべての検査結果が出るまで落ち着いて考えよう」

と言う以外になく、

忸怩たる思いを持ちながら

どうか、彼らが焦った判断だけはしないでくれますように、、、

と祈るほかない状況でした。

 

 

今回できた癌の進行スピードから言って、「このままで行くとどうなる」という予測をお医者様は出してきます。

それはかなりの恐怖を彼や母にもたらしたことでしょう。

絶望感で震えたことでしょう。

 

「恐れ」は人の振動数をもっとも下げる要素だと思います。

 

そして、病気に関して詳しくない我々は「何もできない」という「信念=信じちゃって念じちゃってる状態」から

「治療法は医者が決めることだから。。。」

という、なんとも言えない心理状態になっていたのだと思います。

 

 

そして、すべての検査結果が一昨日、出ました。

翌日、父は、1人で冷静に考え、決心を固めました。

わたしはこのことで父のことを本当に立派だと思ったのですが、

「手術はしない」と決めたのです。

 

 

わたしは賛成です。

そして、今ある癌だって、自分で小さくすることができるかもしれないよ、

そういう風に考えてみない?という風に話をしました。

そのために、自分が持っている力を信じて、身体をきれいにすることにチャレンジしてみようと。

で、わたしはそれがうまくいくと知っています。

 

 

この決断が出るまでに、あまりにも心が重かったので、

マリアさまの祭壇を作りました。

父の枕元に置いておけば、マリアさまがいいように導いてくれる。

わたしはそれを尊重し、委ねよう、と決めた。

 

これを渡したら、父の顔がパッと明るくなるのをこの目で見て

マリアさまって本当にすごいな!と思いました。

そしてのんきに「きれいだね、これイタリアの?」と言うので

わたしはずっこけました。

 

翌日行くと、枕元ではなく、リビングの壁に飾られていました。

まあ、どこでもいい。

父の心が折れないよう、マリアさま、よろしくお願いします。

 

 

そして、もうひとつ、

もう何年も、「実家にな〜んか変な空気が流れている」と感じていたので

例の、「説明は省くけどめっちゃすごい金子さんとサトコさん」に土地の調整をお願いしたのです。

見えない世界のことなので、一切を割愛しますが、

翌日行ったら父と母の顔つきがまるで変わっていた。

しかも、これまで普通の会話さえ気分良くできなかった母(ことごとく話すことのすべてを脊髄反射で否定する)が、別人のようになっていて、

例えば、不要なものが積まれた棚みたいな場所を

「ここ片付けない?わたしやるから」みたいな些細なことでも

「いやだ!わたしには使いやすいんだから!」(でも実際は使ってもいない)

みたいな意味が一切ない抵抗をものすごい勢いでやってきたのに

「そうねえ、使ってないしね」というふうな反応に変わっていたり、

その他あらゆることの反応がまるで違っていたことに、逆にビビりました。

金子さん、サトコさんには本当に感謝です。そういうスキルを持った人たちがこの世にいる。

 

そんなわけで、

実に、何年ぶりなんだろうか思い出せないぐらいに久しぶりに、

一緒に夕飯を作ったり、ゆっくりよもやま話をしたりできて

以前よく見ていた「明るくてふざけると楽しい母」の顔を見ることができ、

それは本当に本当に嬉しいことでした。

 

 

母は何でも、「自分を必要以上に犠牲にして頑張ってしまう」ところがあり

そのことによって溜まったストレスを家族に向けてしまうという

「不都合なループ」に陥りやすく(これはわたし自身の学びにもなった)

しかし、父をとりまく状況がこうなってしまった今、

母も必要以上に頑張らない、ということを実践してもらわないと誰にとってもイイコトないので、

できる限りの楽をして、平常運行でいいんだよと伝えて、

コールドプレスジューサー、りんごとにんじんとレモンのダンボール、

それからバーミックスと新しい圧力鍋とその他なんやかや、一気にAmazonで買ってプレゼントしました。

 

 

昭和って大変な時代だったんだと思います。

父は「男たるもの」「長男たるもの」といった時代の集合意識に適合しようと、大企業のなかで頑張り続けた。

本来は繊細で優しすぎる感受性をもった彼にとって、それはそれは大変な重圧だっただろうと思います。

傷つくこと、疑問に思うことも多々ありながら、呑めないことも呑んできたのでしょう。

そのようにして過ごしてきた結果、身体がサインを送っている。

 

母だって同じように、もっと自由でありたかったことだろうと思う。

けれどもやはり「昭和の集合意識」を重視するあまり、本当の自分を慈しむことができなかった。

しかし誰が悪いという話ではないのだから、

そういった「時代」と格闘しながら、今まで自分たちがよく頑張ってきたことを認めて、

「よくやったよね」と自分に向けてねぎらいの言葉をかけて欲しいなと思ってるよ、

という話をしたら、母は

「そうね」と言ってくれました。

 

これもまた、昭和の家族の肖像なんだろう、とわたしは思いました。

 

 

ともかく、わたしの心にあった重石が取れた。

そんな1日でした。

 

 

とにかく色々な人の尽力や思いによって、わたしたちは生きている。

そして会ったこと関わったことすらない人たち、姿かたちのないものたちも

実はわたしたちの周りに存在していて、なんやか活動している。

 

一見悪いように見える体験でも、一寸先では素晴らしかったり過去は変化する。

嫌な経験も、結局は素晴らしい体験。

生きているから体験ができるし、経験するから学びを得ることができるんだなあ

ということを、身にしみて実感する一連の騒動でした。

でしたというより継続中。

 

 

重石が取れてスッキリ!!!

これからまた、高い振動数をもって創作活動ができそうです。

 

じゃんじゃん注文してくれたらさらに振動数上がります!

 

 

 

いつも読んでくれてありがとう!

 

またね〜!