こないだ実家に行ってゴソゴソとQUEEN(LPだよw)を探した。
CDとして書い直したものと、なぜかケースだけあるものと、買い直してないものがあり、
いま猛烈に大音量で聴きたくなってたSeven Seas of Rhyeはとにかく紛失していることがわかったので、リマスター版のQUEEN IIとかごちゃごちゃ再購入してやった!
このイントロはゾクゾクするほどシビれる〜
そんなことをしている間にもFBにはゾクゾクと例の映画礼賛の記事が上がり続け、、、、、さすがにワタクシちょっと食傷気味であります。
中には「え?」っていうのも多い。
それが美容室のお姉さんとの会話によってわたしが感じてる違和感が決定的にわかった。
わかったのでモヤモヤする。
あの映画はさ、虚実入り混じる「お話」じゃん。
ブライアンたちが、フレディを冠にしたAIDS基金(THE MERCURY PHOENIX TRUST)を汚さないよう、エグいところは抜いて
あくまでも誰にでも受けるストーリー、ファミリー映画として作った「お話」なんだよね。
そのこと自体はイイよ、別に。
お話だから、時代考証というか、曲の順番とかなんやかや、「ん?」というのはあったよ。
え、最初のアメリカツアーは失敗だったじゃん、とか、
その曲やってる時はその髪型してなかったじゃん、とか
「Crazy little thing …」の後に「We will rock you」が作られたわけないじゃん、とか、
まーそーゆー当時を知る者としてのディテールつっこみはヤボだし、お話なんだからと思ってわたしはしなかった。
だけどね、多くの人はあの「お話」を見て感動実話だと思っているっぽい。
「フレディのまっすぐな生き方に感動しました」的な。
でもここで、いやん、こんなこと言ったら若い子に嫌われちゃう〜!と思うけど、言う(笑)
あの映画のフレディって、ちょっとなんていうか、
すごく単純化して描かれてたじゃん。
「純粋でナイーヴなゲイ」
「成功してのぼせ上がって金とセックスを追いかけたけど、仲間の大切さに気づいいて戻ってきたいい人」
みたいな感じ。
気難しさ、とっつきにくさ、決してキャッチーな人柄ではなくて、はっきり言って(天才ゆえの)複雑な変態だったわけでさー
そういう側面の描写に乏しかった。
あくまでも世間(てか我々)は、彼らの作り出すサウンドに心奪われていて、
クイーンはフレディ一人じゃなくて4人の天才の集まりだったからあーゆーサウンドができたわけなのに
メジャーヒットじゃない曲の世界観とかは一切触れられてなかった。
でね、あれは「お話」なんだから、そこには言及しないでいたけど、
なんか、今いろんな記事見てると、彼があたかもあのお話通りの人物かのような捉えられ方で
「まっすぐな生き方に感動」っていってもさ、
あなたそれ、ほんとにほんと?って思っちゃうんだよね。
いやもちろんね、あのお話に感動した人を非難する気はさらっさらないけど、
わたしが言いたいのはね、
実際、あのような人が身近にいたら、そうとう厄介だったと思うんだよ。
仮に「あのような人」がいたら、あなた受け入れられる?
ってことは問いたい。
彼は独自性と並外れた才能があったから「フレディ・マーキュリー」になれた。
でも、気難しくて複雑で繊細で、性的に想像を絶するほど倒錯していて、
だけど名声はない、みたいな人は結構たくさんいるんじゃないのかって思うんだよね。
才能はある、でも世に出ることができない
あるいは才能もない
みたいなケースも含めて、「それでも自分のやりたいようにやる人」。
そんな人をほとんどの人は毛嫌いするんじゃなかろうか?
成功したから「素晴らしい!感動した!」なのかもしれないけど
成功しなくても、なんていうか「すごいドラマ」みたいのは、実はけっこうあるんじゃないかなと思うんだよね。
もう一つ思うのは、
あのレベルじゃないにせよ、成功する人っていうのは
何かしらの異常性を持っているもんなんじゃないかしら、とも思うのね。
プリンスもマイケルもボウイもさ、みんなやっぱ「普通じゃない」んだよね。
ビジネス(実業)だって同じでさ。
だけど、今みたく、多様性多様性と言いながら、みんな「正しさ」とか「常識的な」とか「善人さ加減」とかを人に求める時代だと、
やっぱ桁外れなものは出てこないんじゃないのかなーと思うんだよね。
それで「まっすぐな生き方に感動しました」的な人はさ、実際はどっちかっていうとそういう人を排除したりする人だったりもするよね。
・・・・なんてね。
モヤモヤ話だからまとまりがないけど、
変態万歳だよ!
別にマトモを目指す必要はない。
モヤモヤしたまま終わります。
またね〜!