オッサン性さようなら。慈愛と調和だけが新時代を作ると思う

 

いや〜、参ったよ。。。

昨夜はクリスマスだから、乳香(仲良しの真言宗のお坊さまにもらったものw)を焚いて、シャンパンを開けて

ささやかなお祝いをしました。

教会所属のクリスチャンじゃなくて、直営「ジーザス派」だからねw

 

で、一体どーゆー風の吹き回しだか、DN(だんな、ていうか元だんな。めんどくさいからDNと言っている)が

いつの間にか録画してあった「SON OF GOD」という2015年の映画を見ることになったわけ。

(しかしヤツはなんでこんなの録画したんだろ?)

 

確かにジーザス役は優しいイケメンだったけどーーーー

いやー、しんどかった。

ジーザスの生涯なんてわかりきったお話、何か新解釈があるのかと思って最後まで見たけどなかったし、

やっぱり売られて拷問され、十字架に架けられるまでの場面はしんどいよ。。。。

 

それでね、見ていて思ったのは、

これやっぱり「オッサン社会」の話だよねってこと。

「権力」と「立場」と「保身」と「攻撃」と「排除」の話でしょこれ。

もしあの当時、エライ人集団の仮に半数以上が女だったら、ジーザスを殺すっていう選択にはならなかったと思うんだよね。

 

救世主(異質なヤツ)生まれた → 俺らの立場悪くなる → 見つけだして殺しちまえ

シンプルに言うとオッサンの論理と行動原理のすべてでしょこれ。

 

エライ人は皆オッサン。女はマトモな立場がない。

オッサン社会の中で、変革を促すものが現れたら、みんな自分の「立場」が脅かされることを恐れて

自由よりは既存の立場を守ることに必死。

しかも、たとえ「支配されている側」であっても支配されている中での立場、被支配の中の権力というものがよほど大切なのか、

媚びへつらいは当たり前で、しがみつく。

群衆というものもバカだから、簡単に「奇跡」に熱狂して、簡単に掌を返す。

なんとみじめなヒエラルキー。

 

やだやだ。

今も昔も、何も変わってないじゃない?

登場人物と時代を変え、何度も何度も繰り返されるストーリー。

あたしら人類2000年以上、このオッサン社会で生きてるんだよね。

ちなみに、女だってエライ立場を取りに行くにはオッサン化してないとできないから

オッサン論理と手法を後付けで身につけてエラくなったとしても、

今は自身が軽視してきた女性性と、後から装着したオッサン性の乖離問題で苦しんでる。

多くの女性は無意識下に潜んでるそのことに気づいてすらいない。

 

 

もうさー、今以降本当にやめようよ、こーゆーのはね。

今、本当に女性性の時代なら、

女性が一切オッサン化することなく、本来の慈愛と調和でなんとかやっていこうよ。

・・・・そんな風に思いました。

とにかく女性は楽にならないといけないよ。

 

 

見終わったあと、わたし

どよ〜〜〜〜〜ん

としちゃって、なんでクリスマスにこんなもん見たんだろ?

と思いながらも、

ま、クリスマスでもなきゃ見ないわな、ってのと

人は救世主が「誕生」したことにはいえーい!ってなるけど、

救世主を殺したのも自分たちだぜってことは、都合よく忘れるんだよなー

ってことを思いました。

 

それとは別に、

「これだけしか魚は獲れませんでした」 → 「いや、みんなの食べる分あるよ!(魚どか〜ん)」 → いえーい!

とか

「俺、歩けません」 → 「いいからもう行け!(あら!歩けるよ!)」 → いえーい!

みたいな

空間物質の瞬間的な変容

の話は大好き。ドルフィン理論でよくわかったし。

明日食うもんに心配もいらないし、修行も罰も償いもいらないよ!(人間に罪なんかないんだよ)って

みんながキャッキャする姿を喜んでいるジーザスはほんと好き。非オッサン性。

 

そんな人物に、わたしもなりたいものだよって思った。

ていうか、みんながそうなったらいいのにね!

 

 

そんなわけで、珍しくどよ〜〜〜〜んとしたまま眠りについたら

なんだか知らないけど、広大な神聖幾何学(フラワーオブライフ)がまぶたの中に現れたよ。

きれいだった。

なんだろう?と思ったけど、左脳は働かない。瞬間的に爆睡したわw

 

 

読んでくれてありがとう。

 

女性たち、みんなでがんばろうね!

 

またね〜!