人は子ども時代より青春時代に支配されてるんじゃないの?

 

全国の修道女のみなさま

 

 

ちょっと目からウロコのような感じなんだけど。

 

 

 

自己否定型の人について、そのメカニズム的な側面の話だけど、

それって、ライフタイムの「どこ」に起因することなのかしら?

自己否定の「種」はいつ撒かれるのだろう?幼少期がすべてなのかな?

 

 

あらかじめ言っておくと、

人生とは「完全なる自己肯定をめざして進む旅」だと思っている。

玉ねぎの皮を剥くようなもので、剥いても剥いても出てくる本当の自分に出会う作業といってもいい。

いわゆる「目覚め」の始まりっていうのは、玉ねぎを覆っている茶色い皮を剥くことを指すんじゃないかな。

そこで茶色と思っていた自分は、つるんとした白いものだった、ということに気づく。

だけど、

白いんだ!

とわかったら終わりじゃなくて、その中心には何があるのだろうと剥いていく。

どんどん薄くなっていく、軽くなっていく。

そして最終的に気づく。

芯には何もなかった。「空(くう)」だった。

そしてその「空」こそが、芽が出てくる場所。

エネルギーは、そこに詰まっている。

なんだ、自分の本質は「空」じゃん。

あれ?あなたも「空」じゃん。あの人もその人も、みんな本質は「空」じゃん。

なんやかや言っても皆同じ。

ヒャッハー!

ただそれだけのこと。

 

本当のマイレボリューションは

「空」からの、大いなる発芽のこと。

空に溜まっているこのエネルギーを、爆発させて生きていこうという話。

 

 

だけど、みんな空のくせに、

いや、俺は淡路島産、あたしは佐賀産、あの人は静岡産だから、、、

みたいにして、ちょっとした味の違いやなんかでガタガタ言ってる。

 

いや、そりゃね、味に違いはあるかも知れないけど、

みんな空じゃん、てところで、あの味もあるし、この味もね

っていう「個性」を識別しての、「皆同じ」ってことなんだけど、

なぜか好んで優劣に持ち込みたがる人たちっていうのがいる。

 

 

自分の本質が空だってわかっちゃった人は、

まーみんな空なんだからさーっていう前提で「爆発」に向かう話をする。

けど、茶色い皮がついてるのが玉ねぎ(=自分)だと思っている人の視点は、相変わらず「産地」とか「味」とかにロックオンされているから、

ぜんぜん噛み合わない。

 

 

往往にして、自分の畑(=育った境遇とか経験)より、淡路島(他人)の土壌に引け目を感じたりしていて

パターン1:とにかく淡路島を妬むがゆえの嫌悪

パターン2:淡路島を妬むがゆえの、玉ねぎ話の回避

パターン3:淡路島への対抗心からの、自分の畑の過剰な持ち上げ

パターン4:淡路島を上げて、自分を落とす

ぐらいに反応は大別される。

玉ねぎの話が出ただけで、「自分が否定される」ことを想定してしまうのだろうけれど、

まさに「芯を食った話」ができない、とはこのことだ。(うまい!)

 

たぶん、こういうことは、その人の中で繰り返し起きていて、

その度に、パターン反応をしているのだろう。

わたしだって身に覚えがある。結婚していた時代には、誰かの幸せな結婚生活の話を聞くのが辛かったもんね。

 

 

日本は自己否定大国だから、ほとんどの人が自己否定的で、

それゆえ、うまくいってる人、突き抜けた人を悪く言う。

自分にないものを持っている人を見ては、引け目ゆえの攻撃か、引け目ゆえの蔑みをする。

もしくは芯を食わないところで、「人それぞれ」という安易な言葉で対峙を避ける。

だから「世界に一つだけの花」みたいな、茶色い玉ねぎで何が悪いっていう、突き抜けてない大多数を擁護する気持ち悪い歌(悪いけど本当にそう思ってる)が絶賛されたりしてしまう。

 

 

だけど、こういう「自己否定の種」はいつ撒かれて、いつ開花するのだろう?

と、改めて考えた。

もちろん、幼少期に親から受けた「教育」(という都合のいい言葉)や、自分が欲しかったもの(物質のことではない)が与えられなかった経験、愛情の獲得に失敗したと思うような経験が「種」としてコアにあるとして、

そのまま育って、

学校という社会に出て、自分の家庭以外の価値観に出会って、

思春期が来て、青春になって、働き始めて、、、、

って考えると、

どこで「開花」してしまうのかっていったら「青春」なんじゃなかろうか?

ただのカンで言ってますけど。

 

人は幼少期の無意識のトラウマが、

青春時代に「うまくいかない」現象として本格的に現れて、

それが「楽しかった青春」のイメージを上回ると、

その記憶が、その後の自分イメージのすべて、になってしまうんじゃないのかなあ。ポジショニングとして。

 

だから、もし幼少期のトラウマ除去をするのなら

除去された状態で、実際過ごしたのとは違う青春時代を想像してみるといいかも知れない。

そうすると、その後のイメージもなんか変わってくるんじゃないのかなー?

 

わたしはラッキーなことに、

青春時代はめっちゃ楽しかった。

楽しいというか、親から離れたところで、制御されていない自分をたくさん楽しめた。

結婚後うまくいかなくて、暗黒時代になり、自分を本当に失っていたけど、

その呪縛を解く力が出てきたときに、昔の自分にもう一度会ったような気持ちになったよ。

 

取り戻すべきは、幸せな子ども時代のイメージじゃない。

楽しい青春時代のイメージだと思う。

青春て、子どもとは違って「プチ大人」だもん。そこが、ダイレクトに「今」に繋がってる。

自分にとってベストな青春を書き換えて再構築すればいいんだと思う。そして、まじで今から青春をやり直したらいいんだと思う。

 

ま、なんとなく、そんなことを思った。

 

読んでくれてありがとう!

 

またね〜!