【特別寄稿】「そのまま生きろということ」 本多理恵子

 

敬愛する大切な友人、異例のメガヒット『料理は苦痛だ』著者の本多理恵子さん。

ブログを書くことが好きすぎて、誰かのブログにも記念投稿する!と宣言していたので、すかさずお願いして書いてもらった。

彼女から見たわたしのこと、修道院のこと。

 

 


「そのまま生きろということ」

 

 

私とりーかお(あえて最初だけそう呼んでみる)の出会いのキッカケは「ネット検索」だった。

「イタリア語×鎌倉」にヒットしたのが彼女のレッスン。

 

なんとなく10年くらい前にすこーーしだけかじったイタリア語をもう一回サラッとやってみるか・・・と思い立ち、時間と場所の都合が良かったのであまり深く考えずに申し込んだ。

 

その後で「あれ?この人って知り合いのFBでやたらコメントしてる人だ」と気づいた。

 

決して薄くないキャラを持つ彼女に対し、特に心の準備もなく出会ってしまった自称人見知りな私は少なからず衝撃を受けた。

 

なんだろう?なんだろう?この人・・・。

 

 

そもそも私は「人は面白くてナンボのもの」と思っている。

その意味で今、彼女は私の「面白友達トップ3」の座に君臨している。

 

が、当初の彼女に感じたのは、今までに会ったことない「珍しい人」という意味での「違和感」だったと思う。

 

アーティストのような鋭い感性をもつ彼女に、最初は戸惑う事もあった。

 

「そうじゃない、違うんだよ」

知り合って間もないころ、彼女と話していて良くそんな言葉を聞いた記憶がある。

(ただし、人の記憶は信用ならないので私の後付けかもしれないけど)

 

とにかく、そのフレーズを聞くたびに

「ああ!この人は何かすごく伝えたい、知らせたい事があるんだなぁ」と思った。

 

でも何がどう違うのか?私はわかりかねていた。

でも全身からあふれる(ご存じの通り!)彼女のパワーに惹かれていた。

そして面白かった。

 

 

もう4年になるだろうか。

彼女にも私にも色んな変化があった。

 

最初は「何を伝えたいんだろーか?」と受け取りきれなかったものは今、勝手に腑に落ちている(つもりだ)。

 

彼女は「自分の中にいる神様を愛すること」を私に教えてくれた。

 

私の中の「神様」に彼女はスポットを当ててくれた。

 

そのプロジェクトの名前が修道院でありアクセサリーはツールなのだ。と理解している。

 

 

私は1年半前、とても悩んだ時期があった。

考えても考えても正解のカケラも見いだせず、これが運命なら意味がわからない!と、

まさに魂が抜けたような時期を数カ月過ごした。

 

そんな時、いつもおしゃべりしていたわけではないけど

彼女はずっと「大丈夫。それでいい」ってメッセージを私に送り続けていてくれたことを知っている。

 

 

人生なるようにしかならないし、全てうまくいっている。

 

彼女が「そうじゃない。違うよ」と言ってくれたことは

「考えなくていい。そのまま生きろ」という意味だったと頭でっかちだった私は今頃シミジミかみしめている。

 

 

感性の扉を開くこと。

それに従っていればいいこと。

 

自由になること。

面白がること。

 

彼女から教わったたくさんのこと。

 

 

大好きな面白い友達。

 

そして彼女の手から作り出されたアクセサリーに、私はいつも守られている。

 

 

本多理恵子