この世に存在していることは許認可制ではありません

 

全国の修道女のみなさま

 

 

なんか、山川センセイみたいなタイトルになっちゃった(わかる人にはわかる)w

だって、この言葉が降りてきたんだものw

 

 

坂ノ下修道院をやっていて、嬉しいのがお客様の反応を知る時です。

セッションなどで直接お会いして、アイテムを身につけた時の表情、

商品が届いたよ!っていう喜びの声。

 

どういうわけか、買ってくださる方はエネルギーに敏感な方が多いのか、

身につけたら「身体がじーんとした」とか、なにかイイ反応があった、というご報告をいただくのです。

これはわたし自身はわからない(だって自分で作ってるんだもんねぇ)から本当に嬉しい!

 

 

「すごく久しぶりに、自分のためにアクセサリーを買った」という方も多いです。

 

 

それはめっちゃ嬉しいこと。

だって、それこそが「めざめ」だと思うのです。

 

自分自身への「めざめ」。

すべてはそこから始まる。

 

特にいいことあったから、とか、頑張ったから、とか

そんなことはどうでもいい。

頑張ったことの報酬ではなく、「ただ存在している」それだけでめっちゃスゲーことだということに気づいて欲しい。

自分が自分を「認める」のに、条件はいりません。

根拠など必要はないのです。ましてや実証など、一切関係がない。

「いる」=素晴らしい。

「いる」=キャッハー!

ただそれだけです。

 

なんで、誰かの許可が必要なんですか?

誰に許可されれば気が済むんですか?

この世に存在していることは許認可制ではありません。

 

 

女はね、大切にされてなきゃいけません。

特にわたしら世代ってのは、ラッキーなことに

「大事にされた」時代を知っているんです。

 

思い出してもみてよ。

「あの頃」。

わたしたちはどこか出かけても、自分で財布を出す「必要」が、そんなになかった世代。

なんだか知らないけど、たいていは殿方の「ゴチ」になった世代。

殿方も大変だったかもしれないけど、

白鳥のように水面下で水を掻いてたかもしれないけど、

わたしらにいい顔するために、彼らだってがんばれたんじゃないの?

そんで、その頃、なんやかやいっても、こんなに「自信ない」人だらけじゃなかった。

 

 

いや、言っておきますけど、

バブルよ再び!とか、

会計はすべて男がすべきだ!とか、

あの頃に戻りたい!とか、

シワが増えていやだ!とか、

わたしそんな風には、1ミリも思わない。

 

だってわたしは常に「ナウ主義」。

ナウよりいい時はあり得ない。

そう思ってますから。

エブリデイ、エブリタイム、エブリモメント、いい!

 

 

そんで高度成長もバブルも功罪あったわけで、それの是非を述べるつもりもさらっさらない。

終わったこたーどーでもいい。

 

だけど何が言いたいかというと、

「大切にされていた」ということだけは、忘れちゃいけないと思うのです。

若い女だってゆーだけで、みんな大切にしてくれました。

ちょっとぐらい人と違っていても、特別それがどうこう揶揄されるってことも、

今よりははるかに少なかったし、個性に対する寛容さがあった。

 

そら、個人的に大切にされなかった人もいるとは思う。

正確には、「個人的に大切にされたと感じられなかった経験」をお持ちの方もいるだろう。

しかし、そんなピンポイント的なことは誰にでもある。誰にだって、いくらでもあるものです。

 

 

そして時代が流れ、自分の生活も変わり、

「茶渋のついた湯呑み」みたくなってた時期を経て

今!

「あれ?自分、茶渋ついてたよね?」って、気づく時期!

それが「めざめ」。

 

これからは、何より自分で自分を大切にしなきゃいけません。

 

茶渋なんて奥さん!簡単です。

ハイターすりゃいいのです。

じゅうぶん過ぎる大人になった今、ハイターぐらい自分でできます。

誰かが一滴垂らしてくれることもあるかもしれませんが、

基本的には自分です。

外に求めるから、おかしなことになるのです。

 

誰も自分を大事にしてくれない

って、それならあなたは自分を大事にしてるんですか?

自分が美味いと思っていないお菓子を、人にあげますか?

「これまずいんだけど、どうぞ」って、ないでしょう?

まあ、そんなような話です。

 

「自分が自分を大切にできないのは、親のせいだ」「育った環境が悪くて」とか。

それはわかった。そういうことはある。

でもね、もういいんじゃないですか?

それもバブル同様、過ぎ去った昔の話です。

ナウではありません。

なぜなら、あなたはもう、親の認可で生きていないからです。

原因探しはもう、やめにしたらいい。

原因のせいではなく、原因を乗り越えられないのは、過去を見ているからです。

 

 

そんなことより、マリアさまを見て!

いろんなマリアさまがいる。同じと見せかけて、全員違う。

鼻の高いマリアさま、そうでもないマリアさま、笑ってるマリアさま、深刻そうなマリアさま、しらけてるのか?っていうマリアさま、

なんか「ふくよか」なマリアさま、痩せてるマリアさま。すぐ倒れる、体弱めのマリアさまもいます。

この人たち、あなたですよ。

マリアさまはあなたです。

あなたであって、わたしでもある。

もう、彼女のことも、見上げて崇拝する対象ではありません。

むしろ、一緒に話すべきです。

「ちょっと、最近どうなの?」

問いかけたら、彼女たちならなんと返ってくるでしょうか?

それに、もしマリアさまから相談されたら、あなたならなんて答えますか?

 

もうね、このレベルに行って、世界も自分も見るべき時代。

 

ハァ?

と今のあなたは思うでしょうが、まもなくみんな、言ってる意味わかるようになると思う。

 

 

誰もが覚醒する。

そういう時代のための「マリアさま会議」。

みんな特別だし、誰も特別な人なんかいない。

 

まあ、そんなような話です。

 

 

修道院は「神のモデル事業」だと思ってやっています。

神、あいつは上から何でも見てるかもしれないが、手は動かせない。文字すら書けない。

だからわたしのような「社員」を使って、なんやかや働かせ、

見ず知らずの人に、なにかのきっかけを与えているんだと思います。

だからわたしがやっていると見せかけて、そうじゃない。

ちゃんとやってると、時々ボーナスくれる。

サボってると、何にもくれない。

だけど、みんなも社員だから、それぞれ役割を与えられているんだと思いますよ。

期待しているほど立派な役割じゃないかもしれないけど、それはしょーがないじゃないですか。

部署替えしたいなら、交渉するといいと思いますよ。

あなたがなにを望んでいるのか、はっきりしてるなら叶えるかもしれない。

 

まあ、そんなような話です。

 

 

 

読んでくれてありがとう!

 

またね〜!