川の向こう側へ行く〜「サタデーナイトフィーバー」が名作だった!

 

全国の修道女の皆さま

 

いわゆる「目覚め」とか「覚醒」と呼ばれるものって、

なにも天使の声が聞こえるようになるとか、見えない存在が見えるようになるとか、

そんなことでは一切ないよ。

何百時間の瞑想をしたとか、インドの山奥で修行したとか、厳冬の中滝に打たれたとか

そんなことも一切関係ないわさ。

それまで普通に見ていた、自分を取り巻く世界の景色が変わる。

でもそれ、「違う風に見なくちゃ!」なんて思う必要すらない。

いつの間にか勝手に変わってるんだから。

 

そこじゃない。

それよりまず、「今いる世界」に居続けるの、あるいは居続けたいのか、

それとも一歩踏み出すのか。

「勇気を持って一歩踏み出す」または「気づいたら踏み出してた」

その先にもしかしたら、天使だかガイドだかの声を聞くことがあるかもしれないし(あたしには、ないよ)

見えない存在が見えるかもしれないし(あたしには、見えないよ)

それ的なことがジャンスカ起きるようになる「かも知れない」よってことで、

決して、スピ的な世界のことが「わかる」ことがゴールじゃないよってことだけは

めちゃくちゃ強調したいわけでございます。

(こーゆー件について語りたいと思ったら、ぜひセッションに来てね!)

 

目覚めっつーのは、

「あなたが、あなた自身に気づくこと」= notice

であって、さらに、気づいたらどうすんの?という実際の思考含む行動 = action

結果、自由になって豊かに生きる = well being

のことだから、極めて地に足のついた、「個人的なこと」だと思うよ。

さあ!みんなで一緒に!なんてことはありえないよ。

そう、どこまでいっても「自分が勝手にする作業」だと思う。

 

あなたが目覚められないのは、指導者が悪いとか、指導者がいないせいじゃない。

その気になったらヘルプしてくれる人はたくさんいるよ。けど、指導者(グル)なんかいらないんだよ。

 

 

てなことを書く気になったのは、こないだヒョンなことから、

映画『サタデーナイトフィーバー』を見たからだよ(爆笑)

もちろん今までにも2回ぐらい見てるよ。公開当時(1977年)の社会現象まで覚えてる世代だもんw

 

しかしわたしはこれを、というか、これ「」、誤解していた。

 

この映画、その秀逸すぎるサントラとは裏腹に

くっそダサい映画(ストーリー)の代名詞

だと長年決めつけていたわたしはあまりにもバカだった。

あまりにも何もわかっていなかった。

何これ実は超名作じゃない!

ということを、40年かけてわたしは知った。

『サタデーナイトフィーバー』の監督以下すべての関係者に、深くおわびしたい。

誤解してました。ほんとすいませんでした。

(最近、謝りっぱなしだよ)

 

 

この名作さ加減は、有名なオープニングの登場シーンのカメラアングルとか、そういうテクニカルな能書き的なことではない!

それより出だしいきなり現れる「橋」、これがあまりにも象徴的なものなんだ。

つまりこの映画は、

川の向こうへ行く=マイレボリューション

の話なんだと知ったよ。

 

川の向こうは別世界。

川のこちら側とあちら側

そう、覚醒した人としていない人の例えとして、わたしがよく使っている表現。

まさに、その話だった。

 

だけどこれを当時の、というか今は懐かしい響きすらある「アメリカン・ドリーム」的な視点で言ってしまうと

単にクサクサした低所得者層の住む街ブルックリンから、イタリア系の若い男が「成功を夢見て」マンハッタンに渡る

みたいな安っぽいまとめ方になってしまうんだよね。

それゆえに何か一抹のダサさを印象付けていたのかもしれないわ。

 

でもそうじゃない、これはもっともっと深いレベルでの、「目覚め」。

「気づいて、川を渡る」話なんだよ。

ブルックリン・ブリッジは、そのメタファーとして描かれているのね。

 

 

この目覚めは、あちこちに描かれていて

信心深いイタリア移民の家庭(このステレオタイプな描写もものすごく面白かった)で、

トラボルタは「恥ずかしい存在」なのに対して、聖職者である兄は「誇るべき存在」なんだけど、

その兄が突然「もう神父やめた!」。

神父になったのは母親の願いだったからだけど、実は自分自身の願いではなかったことへの「気づき」で放棄するっていう

「人の人生ではなく、自分の人生を生きる」に気づいた存在。

それが、映画の割と前半の方に出てくることで

信じるのは教会ではないよ、親でもないよ、自分自身だよ

とゆー強烈なメッセージをかっ飛ばしてくる。

 

 

ブルックリンでよくある(あった)イタリア系VSプエルトリコ系の対立なんかも暗に描かれていて

つまり、

どっちも底辺に生きる者なのに、視野の狭さゆえにお互いいがみ合ってることのアホさ

への「気づき」。

 

それまで女といえば、簡易的なセックスの対象として「たらしこむ」以外の脳がなかったのが、

自立した存在として認めて、友情を確立できる対象なんだという「気づき」。

 

慣れ親しんだ「仲間」という名の、低い方、低い方へと向かって行く閉塞感あふれる人たちで構成される人間関係。

振動数が上がってしまったトラボルタは、もう彼らと共にいることはできないという「気づき」。

 

で、

橋を渡る決心をする=自分の可能性に目を向ける

というお話。

 

 

さらに!

そんな「気づき」からの「目覚め」がなぜ起きたの?

という、実はもっとも大切なところを考えると、

これさ、

ダンスという、とにかく自分の好きなことでヒャッハー!し続けた結果、

松果体が活性化して気づきを得やすくなった

ってことでしょ!!

 

これ、今まで誰も言っていない、修道院独自の解説よw

気分のイイことをやり続けた結果!ってことだよ!

「あの上昇志向の高い女と組んだことによって別な世界を知ったから」っていうのは浅い見方だと思うよw

だってディスコにたむろしてるけど、ダンスを追求したわけではないおバカな仲間たちには

気づきは起きなかったんだから。

 

 

というわけで、わたしはむちゃくちゃ感動して

なんと

泣いた!

 

「底辺から抜け出す」っていうのが、単に「経済的成功を目指す」ってことを意味していないところが

この映画の凄さだと思うわーーーーーー

 

 

そう。

勇気を持って川の向こうへ行くこと。

振動数が合わなくなった人たちとは一緒にいられないこと。

保証された「安心」よりも、未来を信じること。

宗教よりも「自分」を信じること。

 

という、めちゃくちゃ大事なことが随所に散りばめられてる名作だったよ!

今だから沁みる。

 

 

川の向こうは、別世界よ!

そしてそろそろ、橋はなくなるわ。

急いで渡った方がいいよ!

 

 

みんなもぜひ見て欲しいわー!

DVD956円よ!wwwww

 

そしてこのめちゃめちゃカッコいいサントラ!実家に2枚組のLPあるわw 買いなおそうかしら

 

読んでくれてありがとう!

 

 

またね〜!