あの話題に関して言っておきたいこと

 

全国の修道女のみなさま

 

こんなことを言うとアレなんですけど、大真面目に書きますよ。

 

最近、おクスリの力を借りてヒャッハー!していた方が捕まったようなんですが、

いや、そーゆー件が明るみに出るたび思うのですが、

なんで、みんなそんなに叩くの????

 

それ、わたしにわからないことのひとつです。

何か薄気味悪いものを感じる。

 

わたしの立場(どんな立場かわからないけどw)で言うと

勝手にやってりゃいいじゃん

です。

 

そのタレントだか野球選手だかミュージシャンだかなんだかが

勝手に身を滅ぼすだけのことであって、

少なくともわたしには1ミリの被害すら出ていない。

 

一切の関係がないのです。

 

もちろん、「禁止」されていることですから、それを破ったら罪ってことになります。

だけど、禁止しているのは「法律」であって、

「世の中のいろんな人」ではない。ってゆーか、「あなた」ではない。ましてや神でもない。

 

司法は、法律を犯すことを取り締まるのが仕事ですから、そりゃ検挙もするでしょう。

ご本人にしたら、「捕まってよかった」って思ってるかも知れない。

そこはわかりません。知ったこっちゃないのです。

けれど、当事者でもなんでもない「あなた」が、そこに被せて罪をなじることの意味が

どこにあるのかわからない。

 

いやー世界のほとんどに意味なんてないよ。

 

その無意味なところに無意味の上塗りみたいな気がして。

 

 

人の心は弱いから、そんなに立派でいられない人だって、いたっておかしくないのです。

おクスリに手を出す時点で、現代に生きてるその方は、危険だよっていう情報だって知ってるはずですから、

何かを覚悟してやったことでしょう。

そしてやってしまったら最後、抜け出せなくなったわけでしょう。

 

向精神薬(抗精神薬?どっちだ?)を飲み続けている人って、たくさんいると思うんですよね。

医者から買えばオフィシャルな「薬」で、「かわいそうな人」

やーさん?から買えば、イリーガルな「ドラッグ」で、「クズみたいな人」。

でもね、

わたしに言わせりゃ、「おクスリ」というものは、それほどまでに恐ろしく、人間の脳に影響して依存性を発生させるもの。

どっちだって同じじゃねーか、と思うのです。

 

心の弱さなんて誰でも持ってる。

それ自体は悪いことでもなんでもないでしょう。

そこからとった選択肢の違いってだけなんじゃないですかね。

 

もちろん、弱い心をおクスリなしで克服した人だってたくさんいるでしょう。

ほとんどの人はそうです。

克服しないまでも、まあ、どうにか折り合いをつけてやっているわけです。

けれど、この過酷なプレッシャー社会。イミフに心の負担を強いる社会。

そんな均衡が崩れた時、

もし心療内科に行って、「薬」渡されて、ちょっとラクになって、はーよかったと思ったら

次から次へと、別な「薬」が出されて、もういーかげんやめたいのにやめられない

みたいな状況になっちゃたら、どうします?

そんな人たくさんいます。

 

たまたま自分が持ち堪えているだけの話、

辛いことをどうにか我慢できているだけの話、

それだけの話なのに、

禁を犯した人間のことを、当事者でもない人が、ガタガタ言って溜飲を下げる

みたいなのは、本当にある意味、自分の首を絞めてることになりませんか?

その人自分の弱さが露呈した時どうするんだろ?って思います。

 

わたしと同い年の野球選手は、

「おクスリをやめ続けている状態」を維持するのは容易ではない、と吐露していました。

わたし、ヤンキー系文化が嫌いですので、彼のことは現役時代から大嫌いなんですけれども、

事件後の彼のことは応援しています。

ああ、素直な、正直な人なんだなあ、と思って、ある意味泣けました。

そして、そんな「リアルな心境」を語っていくことが、いちばん意味があることなんじゃないかしらと思っています。

ガキの時分からスポットライトを浴び続けた人間が、ある日を境にクズと呼ばれる。

そんな気持ちは、ご本人以外には分かるはずがありません。

いつか、おクスリなしでヒャッハーして欲しい。

心からそう思っています。

 

 

わたし、20代の時、ウツ的なものになりました。

今ほど「鬱」が市民権を得ていなかったので、何か禁忌の言葉といった、そんな雰囲気さえありました。

なんか調子悪い、普通じゃない、それで内科に行ったら、心療内科を紹介されました。

最初は自律神経失調と言われて、原因究明もへったくれもなく、数種の薬が出されて

飲んだらアホみたいに眠れるし、そして寝続けるわけですが、

ちょっと良くなると、コンスタントに飲むのを忘れたら、またどっかーんとくるわけです。

勝手にやめないでください、とも言われ。

そのうち、気にくわない症状が出てくるから、それを言うと、別な薬を出されるわけです。

わたしは、薬を飲んでいること自体が、というか今思うと、薬に頼って生きていることを過剰に意識していて

自分はそんなに弱い人間なのか?と思うと、それを受け入れられない。

嫌で嫌でしょうがないから、テキトーなところで「もういいや!」と飲まなくなる。

そうすると、またあのフラッシュバックが怖くなる、みたいな一連のことを経験して、

医者も薬も信用しない、と決めました。

同時に、あの嫌な心境は、経験した当人にしかわからない、ということも決定的に悟りました。

そんなの、人に共感を求めても一切無意味でした。誰もわかってくれないし、わかるはずがないのです。

嫌味さえ言ってくるバカもいました。

「病気ってことだと、会社行かなくてもいいんだから羨ましいよ」。

何も反論はせず、ぶっちゃけ、ああこいつ地獄に落ちろと若いわたしは思いました。

で、そいつはその後何年かして、ひどい鬱になりました。わたしに言った言葉は忘れてたと思います。

 

 

ともかく、

以降、徹底して「心を鍛える」ということに気を向けましたよ。

わたしは弱い自分が許せないのだ、と気づいたので。

そうわたしの場合、とにかくやると言ったら徹底的にやる。

それは前の記事でも言った通り、「自分一人で考えに考え抜くこと」だと思っています。

 

 

結果は今の通り、めっちゃ鍛えられた(笑)

で、鍛えるってことは、人より強いとか弱いとか、できるとかできないとか、そういうことじゃないのです。

「どんな自分 is オッケー」ということを知るってことなのです

そしてナウ、

ヒャッハー!

の境地です。

薬どころか、ときどき食事さえ食べなくてもいいぐらい(笑)

そう、眠くなければ寝なきゃいいのです。

 

けれど、わたしはレアケースだと思ってもいます。

そもそも自己肯定感が人並外れて強いのです。

それを、「世間に合わせようと努力していたこと」がすべての間違いでした。

 

人はそれぞれだから、簡単に心を鍛えられない人だっている。

誰かと比較して、自分の方がマトモなんだ、という観点でしか安心感、自己肯定感を得られないうちは、本当の意味で強いメンタルではありません。

そんなレベルの観点で満足している人が、心が弱くておクスリの力を借りてヒャッハー!している人を叩くのです。

 

 

言っておきますけど、おクスリの力を借りてヒャッハー!している人をかばう気もありません。

否定も肯定もない。

そいつの勝手だし、個人的なことでしょ、としか思わない、ということを言いたいのです。

おクスリのせいで、人の命を奪ったりするケースのことを言っているのではありません。

 

 

長くなりました。

 

読んでくれてありがとう!

 

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