産みの苦しみ?と新年号

 

全国の修道女の皆さま

 

実はね、この週末、ぶっ倒れていたんですのよ(兼高かおる風)

 

というか、最近、「何は無くとも絶好調」でおりましたけれども、春分の日もぶっ倒れ(てか兼高かおるさまならぶっ倒れるなんて言わねーわ)、その時「なにか」あったのか、先週はやたらと、「変な模様」とか「イミフなシンボル」(いずれもなんだかわからない)がチラつくようになっていたんです。

そして一昨日の夜から猛烈な頭痛、悪寒その他もろもろ。

あ、こりゃいかん、ということで、とっとと金子さんにSOSを。

いやーーーー、ありがたいです。本当にありがたい、この方の存在。

そして金子さんだけでも解決できずで、他の方の手を借りてどうにか復活。

ありがたいことです。

 

まさに「こんなこと言うとアレなんですけど」。ちょっと前まで、わたしは自分の身に起きるいろんなことを、人に言うのが嫌だった。というか、まー言っても仕方のないことと。

それに、わたし自身が、いったいそれが何なのか、よくわかっていないってゆーのもある。わたしのバーイ、いろんなものを「自動的に受信」はするけど、意図して何かにつながったりはできない。金子さんやサトコさんのような方々にみてもらって判明する、というパターン。

人にはいろんなケースがあるからね。

わかる人は少数派だし、大抵の人々はドン引きするだろうから、別に言わなくてもね〜って感じだった。

今はどうでもいい。どう思われてもいいし、「頭おかしい」と思われても別にいい。「普通」です、「マトモ」ですなんて別に言うつもりは1ミリもなくなった。

ま、つまりわたしは少数派なんだよ、要するに。

 

それでまあ、ともかく一連の「処理」をしてもらい終えたら、元号発表のお時間です、と。

 

はっきり言って期待してなかった。

「わ、ダサ!」みたいなのがくるかと。

 

ところが、意外なことに、あの方が掲げた額に書かれた文字を見て、

瞬間的にスッキリした

アガった!

 

いいじゃん!いいよ!いいよねえ?

令和。

 

音もいい、文字感もいい。

こりゃいいよ。

そしてわたしの脳内

「ダイヤモンドダストが消えぬ間に」のイントロから「♫はじめまし〜て〜♫」までが流れたw

 

 

そして数日前に完成させていたネックレス

これが!

我田引水ながら

超「令和」っぽいと思って、キャッキャした。

 

 

「令和」。

 

それだけでアガった、今日の昼。

頭痛いのは、どっか行った。

 

 

この元号に関して、Facebook見てたら、

「おお!」(ポジティブ反応派)と

「え〜」(ネガティブ反応派)に、くっきり分かれている気がして、

そして女性は大抵が肯定的で、理由が「この感じ」「音感」などの右脳系理由、ブツブツ言ってるのは、左脳的な勘ぐり系の理由。そう言っちゃナンですけど、まあだいたい何にでもブツブツ言う系の方々、という風にお見受けいたしました。

この2分された反応が、なかなかに面白く、

未来とは、その人が見たいように見、その人が欲しいような未来を作るんだなあ

と、わたしは思ったでございますよ。

そして「おお!」派と「え〜」派は、今後交わることのない立体交差点のようなものでございます。

でもいいじゃないの、幸せならば。声をかけても、聞こえないけれど。

それぞれのご多幸をお祈りして、みんな、小さくても良い薫りのする、花びらを広げましょう。

 

 

そしてね、

年号とは、一種の「呪詛」だから、そら決して軽いものではない。

こーゆー時代になっていけ、という「目論見」を表すもの。

実際、「平成」では、すべてのものが平らに成った。ヒエラルキーの崩壊。

平らになる過程においては、そりゃあいろんなことがあったけれども、結果、今以降「平ら」じゃないものを作ろうとしても難しいでしょう。

仮にこの新年号が、裏にどんな意図があるとしても、

素敵な時代にするのはわたしたち自身。

エラい方々や、エラそうな方々ではありません。

 

ちょっと面白いなと思ったのは

「上からの命「令」に、和して従え」という意味だ、ということをしきりに言って怒っている方々もいましたけれども

そういう方々は「従う」ことを前提としているんだろうな、と思ったこと。

わたしみたいに、「そもそも従わない」を基本としていると、別に従えって言われたって、従わなきゃいいんじゃないの?という風にしか感じません。

そこはイタリア仕込みですから。

 

あのね、若い時に、衝撃を受けたことがあります。

日本もイタリアも、戦争をして、負けて、散々な目に遭ったわけですけれども、

息子(兵隊)を送り出す時、イタリアのマンマたちはこう言って送り出したと

「どんな手を使ってでも絶対生きて帰って来い。どんな汚い手を使ってでも、お前だけは死なずに帰って来い」と。

それは「お国の為に死んで来い」と言って送り出した国とは、全く違う価値観だと思ったのです。

もちろん、日本だって、母親という母親は「どんな手を使ってでも生きて帰って来い」と思っていたはずで

いやもちろん推測にすぎませんけれども、

けれども、それを、口に出すか、出さなかった(出せなかった)かは、大きな違いです。

このエピソードに、わたしは何か、得るものを感じました。

「うまいことやる」というのは、実は日本人が一番不得手なことかもしれません。

でも、命は大切にしなければいけないのです。

 

 

元号が素敵でも、いろんなことはやはり起きると思います。

わたしたちの命は、花を咲かせるために使いたいです。それを決めるのも、わたしたち自身だと思っていた方がいいと思うのです。

 

そしてわたしは、どんな人でもキラキラしていてほしい。

そのためにできることをやっていこうと思います。

 

 

令和っぽいネックレス(笑)は2種類あります。

新時代を祝うネックレスセット1

 

読んでくれてありがとう!

 

またね〜