時間ていつからこんなになくなっちゃたんだろ?いつからこんなに早く進むようになったんだろ?
って思った。昨日。
とにかく時間がない。あっという間に1週間が終わってしまう。
その中で、あれもやりたい、これもやりたいということはあっても、実際は、本を読むことすらままならない。
修道通信を書く時間も「確保」しないとない。
例えば学生の頃、一体どうやってたんだろ?って考えたら、びっくりするぐらい、時間があった。
大学まで「通う」、授業に「出る」、友達と「遊ぶ」、家に「帰る」みたいな決まった帯の時間があった上で
本もたくさん読んでたし、デートやなんやかや出かけてたし、家族の会話もあった。
時間があったのは、ご飯のことを考えなくてよかったからかな〜?と一瞬思った。
要するに、「自分の暮らし」が確立する中で、「何を食べる」ってけっこうな時間数を取られている事実がある。
外で食べるのか家で食べるのか、家で食べるとすれば何を食べるのか、買ってくるのか、作るのか。
作るとなったら、買い物に行って、帰って、料理して、食べて、片付けして。
・・・これ、実はすっごい時間数だよ実は。
食べるって、究極のルーティンだもん。
だけど、やっぱ、そこじゃない。
だって、もうわたし「メシの奴隷」じゃないもん。
むしろ食べなくてもいい、って思ってるし、そーなってからご飯関係のこと一切は、実はDNがやってくれている。
買い物、料理、片付け、ほぼ全部だ。
事実上、今のわたしから「無駄な時間」は、ほっとんど排除されている。
楽しいと思えない会合には一切出ないし、余計なつきあいも皆無、通勤もない、無駄な会議もない、
さらに、昔はあれほどちゃんとやりたいと思っていた家の片付けとかも、やりたくなければやらない。
そしてわたしは上機嫌。
そしたら時間がなくなっちゃった!
だけど、これは「時間に追われる」という感覚とはまーーーーーったく異質なものだ。
むしろ真逆。
「時間」をスケジュール帳みたいな線区切りで考えなくなったら、濃い時間が飛ぶようにすぎていく。
「忙しい自慢」の人のアレ(いるでしょ?忙しいわたしエライ的なスタイル。まあご苦労様ですって感じの)とも相容れない。
あれ?
もしかしてわたし、時間から解放されたのかな?
って、ふと思った。
でも時間がない!
* * *
こないだ漠然と、
「クリエイティビティ」ってどこから来るんだろう?
ってことを考えていたら、
まったく同じことを、酒の席で出してきたおっさん友だち(クリエイター)がいて、ちょっと盛り上がった。
この疑問に関して「まったく同じこと」を話し合える人がいたか!と嬉しくなった。
その時、生前のラガーフェルトさまのセリフ
「(世の中に)クリエイターはたくさんいて、わたしはクリエイターだ。でもわたしがアーティストかどうかは、自分で名乗るものではない」
といったようなことは、すごく卓越した見解で、それ以外に言いようがない。さすがラガーフェルトさまと思った
とゆー話をしたら、非常に賛同を得た。
ともかく、ふらっと飲みに行ってこんな話題ができるのは素敵なことだ。
恵まれてんなー、わたしって思った。
そういやその時も、気がついたら1時をまわっていた。
時間て、(意識が)区切った瞬間、薄くなるのかもしれないね。
* * *
そんなわけで、ポリマークレイ に没頭する日々。
ようやくパスタマシーンが届いた!
え?パスタマシーン?て思ったけど、これがないとどうにもならない必須アイテム。
ちょっとウケてしまった。
フィレンツェに住んでた時行った、トスカーナの田舎の別荘(人んちの)で、パスタを作って食べた時のことを思い出した。
めんどくさいから、わたしパスタマシーンなんて絶対買わないだろうと思ってたのに、今やこんな用途で使うとは!
色をブレンドしたり、クレイを均一な厚みに揃えるのに使う。
アクセサリーは、パーツを組み合わせる作業。
クレイは、それ以前のまったくゼロから、形も色彩も用途も作る作業。
使わなきゃいけない脳の範囲がはるかに広くて難易度が高い。
形の定まらないものを形にする、なんでもできるってことは、非常に難しく、漠然としていると何ものにもならない。