全国の修道女の皆さま
昨日の記事、予想を上回るアクセスと反響があり、やっぱりこのテーマはタイムリーなんだなーと思った。
みんなが自分の中の聖母マリアに目覚めるタイミングなのだろう、とも思う。
金子さんには「これでマリアさまも喜んでいるんじゃない?」と言われ、変に聞こえるかもだけど、実は何よりそれが嬉しい。
わたしはどうやら、むかしむかしに、マリアさまと何かの約束をしているらしいから。
そこでまた少し、マリアさまを焼いた。(って、なにかと思うよねw)
さすがだ。草間彌生先生の上で、ものすごい浮遊感、宇宙感出てるw
このマリアさまを作る作業は、本当に何かがリセットされる感がハンパない。
毎度のことだが、同じものから作られても、表情がそれぞれ微妙に違う。。。
そしてこのように眺めていると、、、この人たちがわたし(あなた)自身なんだな、、、、と思うと、
なにかハートの奥に、表現できない「何か」ふわ〜〜〜っとした、まあ「何か」を感じる。
そこで、坂ノ下修道院として、今日はみんなに提案があります。
わたしはこれを母の日に贈ろうと思う。
うちの母親は絶対ピンとこない。
ピンとこないとわかっているけれども、ひとつのことを伝えようと思う。
美智子さまにばっかり賞賛のスポットライトが当たっているけれど、
典型的な昭和の母親として、「あなただって聖母マリアだった」ということを言おうと思う。
たぶん母親はそれでもピンとこないと思う。何しろ「否定の人」だからw
だけどそれでもいい。正しく伝えようなんて思わないほうがいい。
あとは、マリアさまが勝手に、彼女に働きかけてくれるだろう。
何しろ母親業界の、というより女性性業界のトップに立つマリアさま本人と、母親との紐を繋ぐだけでいいんじゃないかなとわたしは思っている。
そして提案というのは、
みんなも、このマリアさまセットをお母さんに贈って欲しい
というものです。
このマリアさまは、教会(宗教)に所属するものではなく、
「わたしたちのマリアさま」だ。
女性性の集合意識の悲しみがわたしを代表者として来たように、
みんなのマリアさまが、宗教に依存しないこのバーチャル修道院にやって来た。
これからはわたしたちが「クラウド型マリアさま」となって、あらゆるところで赦しが起きまくる。その象徴だ。
ちなみに、
母の日ギフトとして、今から1ヶ月間は特別価格で提供することにした。
(「SALE」と表示されているのはまったく不本意だけど(泣)システム上しょうがない)
ちょっと上手く言えないのだけど、このマリアさまは、修道院にとってはアクセサリーとは別な位置付けで、
本当は金額もつけたくないから「いくらでもいい」のだけれど、
制作にはそれなりのコスト(材料と手間、時間)がかかってしまうのは事実なので、その分はいただきたいです、、、という考えです。
>>【母の日ギフト価格】黙想〜聖母マリア薔薇のガーデン
わたしたちが生まれてから今までに経てきた、さまざまな苦しみや困難は、
そのほとんどの原因が家庭、それも「母親」だ。
たぶん修道通信の読者なら、だいたいそのことをつかんでいるのだろうと思う。
そして昨日触れた話題の中にある「男尊女卑」の考えだって、多くは「その男と母親の関係性」から発生している。
女性をリスペクトできない男は、辿っていけばたいていは母親を愛することができない過去に到達する。
その多くは、「本当は愛されたかったのに、母親は自分を愛してくれなかった」という欠乏感に由来している。
ここにもまた、「愛されないから愛さない」「愛し方を知らない」の基本構造があって、不毛なスパイラルが撒き散らされているわけだけれども、
そんなことも含めて、もう全てを手放す時期なんじゃないか、と思うのです。
だって、あなたが存在していること、それ自体が愛なのだということに気づくべき時期なんだもん。
昭和。激動の時代。
その時代に母親となった彼女たちの労をねぎらおう。
彼女たちだってたくさんの希望もあっただろう。
もしくは、希望することすら封印していたのかもしれない。
例えわたしたちへの「見えづら」がどうだったであろうとも、そしてその結果として、
わたしたちに喜びや、もしかしたら苦悩も与えることになったかもしれないけれども、
すごく大切なのは、喜びも悲しみも苦悩も、
生きているから体験できる=体験することは(実は)すべて喜び
という根本的な宇宙の大原則において、生まれてきたってことだけですでに「愛」。
この世にわたしたちを送り出す「機関」となって、命がけでその子宮を貸してくれた全母親に
ありがとう!
と言うことでわたしたちの昭和をきっちり終わらせよう
ということが言いたい。
そして、今年の母の日をもって、わたしたちはいよいよクラウド型聖母マリアとなって
ニュー時代を創っていきましょう。
賛同してくれる人がいたらすごく嬉しいです。
もちろんギフトじゃなくても、すでにお母さんがこの世の存在ではない人も、
手元においてそのことを考えてみてもらえたら修道院としてとても嬉しい。
読んでくれてありがとう!
話したいことがある方は、セッションへどうぞ!
またね〜!