一生全力でお守りします、からのパートナーシップ

 

全国の聖母の皆さま

 

言い忘れてた。

 

いくらテレビを見ないわたしでも、5月1日のニュー天皇即位ぐらいは、テレビをつけた。

 

ヒロ!あの姿は誇らしかった。

まあ、あなたこんなに立派になって!!

って、親戚のおばちゃんの気分で涙が出た。

そして、雅子さま。

あー、このティアラ姿よ。これこれ。これだよ。

本当によく似合う。

華やかで、実に気分がいい。

 

雅子さまに関しては、あの結婚のパレードでの信じられない美しさ

いや、美しいてゆーより、なんてゆーんだろうねえアレは。晴れがましさってゆーのかしらねえ

あの時の「わぁ〜」という気持ちを思い出した。

あっちではダイアナかもしれないが、こっちには雅子さまがいる。

そんなふうに誇らしくわたしは思った。

そう、誇らしく思ったのだ。

 

そして、5月1日。繰り返し流される婚約の時の映像。

出た!

「雅子さんを全力でもってわたくしがお守りいたします」

あのシーン。

言葉にならない感動。わかっちゃいるけどやっぱりグッとくる。

 

 

あの時だって思った。

「それを言われたら、もうノーとは言えないよなあ」と。

何度も「お断りいたします」と言い続けた駆け出しの外交官だった雅子さま。

自分のやりたい将来があっただろう。

思い描いた未来があっただろう。

 

だけど、

この世で、誰が

一生全力でお守りします

なんて彼女に言えると思う?

いないよ。

皆無だよ。

少なくとも日本には、

そんなセリフを彼女に言える男はいなかった。

だって「ムリ目の女の最高峰」だもの。

ヒロをおいて他に言えるわけがない。

 

どんな未来より、

その言葉は、美しい。

そして、女にとって、それ以上の価値ある言葉は

やっぱりないと思うね。

それはさー、現実、その先、たとえ守りきれなくてもだよ、

別にいいんだよ。

「あん時守るって言ったじゃん!どうしてくれんの!」などとは

いい女であればあるほど、絶対言わない。

それはさ、弱い女のためにある言葉じゃないんだよ。

真に強い女、真に自立した女であればあるほど、

なんつーの?

まあ、「そう言われたらわかる」んだよ。

それは心意気というもんだよ、男の。

で、それを言われて「お断りいたします」などとは

絶対にノーと言えない提案(by ゴッドファーザー)みたいなもので

そこでノーと言ったら、女も廃るってものなのよねえ。

 

それで、もし彼女がヒロと結婚しなかったら、

今頃、そのセリフはやっぱり

ジョージ・クルーニー以外には言えないよなーと思うわけだ。

 

ここに、この国では

真に優秀な女の収まる場所がない

という、例のテーマにつながっていくわけなんだけど、

 

 

話戻して、

そんな「お守り」された彼女が馬車の上で見せたキラッキラの輝きは

まもなく一切見られなくなった。

伝統だかお立場だかしきたりだかの鋼鉄の壁が

彼女からあの笑顔を奪い去り

あんなに垢抜けていた彼女は、意図的になのか野暮ったくなり、

そして時折見る姿は、何かとってつけたような、

魂の抜けたような

そんな笑みを浮かべる人になってしまった。

ヒロも、ある時

「雅子の人格を否定するような動きがあった」と、

柔らかな口調ながら激おこで抗議をし

わたしはグッときた。

あー、この男は約束を果たす気なんだな、と。涙が出た。

 

それをけしからんというバカ保守派もいたけれど、

何がけしからんのか、アホかと思った。

あの時から、あーこの人たちが、わたしの世代の天皇皇后になるなんて万々歳だ!

とわたしは思った。この人たちの世になるのが楽しみだ、と思ったんだよ。

批判されようとも恋女房を守る、そんな気概がある男だ。悪いわけがない。

世界平和はまず自分平和から、だもの。

 

あの輝いていた雅子さんは病気になった(らしい)。

オモテに出られないこともあった。

ヒロ一人で海外に行き、そりゃ海外では基本夫婦で1ユニットなんだから、

みんな「奥さんどうしたの?」と思っているけどタブー、みたいな中で

どんなに辛かっただろう。

そんな雅子さまを「だらしない」とか「失格だ」とか「甘えだ」とかいうバカ保守派もいて、そーゆーのが、事もあろうに同じ女性の口から出たりするたびに

この国の女もやっぱりバカなんだ、、、、とわたしは思った。

自分が耐えてきたことを、人にも強要するような精神が、わたしは嫌いだ。

「甘え」という言葉で人を責める人間は、人に甘えたことがないのだろうか?

もしそうだとして、それはそんなにご立派なことなのだろうか?

甘えるってことができないばっかりに、周囲を苦しめる人だってたくさんいるよ。

 

それまで自分の足で立ち、ハンドルを握り、好きなところへ出かけ、

どの国に行っても、自分の言葉で喋ってきた人間が

籠の鳥にされ、使う言葉も、立ち居振る舞いも、行動の自由も、友人たちとのキャッキャも

全て制限されたらどうなるよ?

あたしなら確実に精神を病むし、病むだろうと見えた時点で「廃業」を考えると思う。

やめた!と言ったって、その後生きて行く道は他にもある。

だけど、一生お守りすると言ってくれた人のためにも、廃業はしなかった彼女を讃えたい。

 

わたしにとっての平成は、「修行の旅」だったと昨日書いたけれど、

それは彼ら天皇夫妻にとっても、まさにそーゆーことだったんじゃないか?

やだ!わたしなんかよりはるかにつらかったでしょうが!

 

そして1日に見たティアラの雅子さまは、「自分の番が来た」という輝きを感じさせた。

我々クラスのオバハンにとって、

プロセスの最初っから知っている「夫婦」が天皇になった。

それは、気づいたらなんとなく神格化されていた美智子さまの聖母マリア性とも違う、

なんというか別なものだが、まだ形になっていない。

ともかくもう、過去のお詫び行脚に行かなくて良い。あなたたちに責任はない。行く必要など無いと思う。

ただ未来だけ考えて、新時代のシンボルであってほしい。

 

 

ちょっとキラッとした雅子さまの姿を見て、

わたしは何か、「よっしゃ!」みたいな気持ちになり、

例の「かねよんの本」のことを、さあ取り組み始めよう!という気になった。

そんなところへ、そのタイミングで本日

出版社の話を持ってきてくれる人が現れ、

まじか!と思った。

ただ、それはどうなるかはわからないし、ともかく進め方についてだけ、気を揉んでいるであろうかねよん本人に伝えとこうとメッセージを入れた。

 

そしたら、なんと!

ニューヨークにいるはずの彼女は

「親戚の不幸で、今日本にいる」と!

なんだそれ!

ということで、急遽、明日会うことになった!

なにこの流れ!

とは書いているものの、もはやわたしはそういう流れの中にしかいないので、

全ては自然なことなんだなあ、としか思えない。

導きというものは、絶対にあるんだよ。

それを引き寄せと呼んでも構わない。

 

 

とにかく、言いたいことは

自分の番が来たら全力でやる。

自分の番が来るまでのことは不問。

だ。

 

読んでくれてありがとう!

 

またね!