全国の聖母の皆さま
「令和」問題の影で(って問題じゃないけどw)
実は一つ、わたしにとって悲しいニュースがあったんだよね。
わたし、大のブラジル好き。
そして根っからサンビスタ(サンバ愛好家)であります。
そんなサンバ界の大御所で、日本で言ったら美空ひばりみたいなもん?
そんな存在のサンバ歌手、ベッチ・カルバーリョが平成とともにこの世を去った。
日本では一切報じられない扱いだけど、ブラジルの新聞では緊急ニュースだった。
わたし、自分の人生で後悔らしき後悔は一つもないと思っているけど、
多分これだけは、人生でたった一つの後悔になると思う。
リオに行って、彼女のショーを生で見たかった。
ここ数年は、それほど具合が良くないこともわかっていたから、実は時間との戦いであることも知っていた。
早く行かなければ、死んじゃうだろうって知っていた。
だから後悔なんだよね、、、、
思えば40も過ぎた頃、まだ都内のマンションにいた頃だけど
その時勤めてた会社を辞め、この後の人生をどうしようかなと思っていた頃の話。
その頃の数年は、なんとなくすべてに違和感があって、濃い靄に包まれていたような感じだったんだけど
サンバと出会って、わたしの何かの扉が開けたのよねえ。
というのも、サンバ
(と言ってみんなが思い浮かべるのは、あのでっかい羽がついた裸同然の衣装の姉ちゃんが乱舞するカーニバルでしょうが、そういうことじゃないのよ。サンバとは一つの音楽ジャンルよ)
で歌われている歌詞、
それは自然と神への礼賛、人生と幸福の肯定
そしてアフリカ由来の、なんというか人間の本能を呼び覚ますようなリズム。
もうこれについて語ると3日ぐらいかかるから思いっきり割愛するけど。
まーつまり端折っていうと、わたしに言わせりゃサンバは賛美歌なのよ。
「神への礼賛」て、今のわたしが書いても違和感ないかも知れないけど、
当時の自分にとって、そういうものを真剣に考えさせるきっかけはサンバだった。
(そー!なんかのスピリチュアル本がわたしを変えた!なんてことはないよ!(笑))
それまで、カトリックの本拠地みたいなイタリアに馴染んでたから、むしろ「神」とかほんっと嫌だった。
何かあったら自分が行動して改善すりゃいいのに、そこはしないで聖アントニオ(とか、誰でもいいんだけどw)にお願いしときゃいいみたいな、南イタリア的な気質が「なんだろねー、まったく!」って思っていたのよ。
マリアさまだって、今じゃ「身近な上司」だけど、その頃は一切遠い存在だったわ。
とにかく教会組織が嫌いなのよ。
だけど、繰り返し聴いているどの曲も、とどのつまりは
自然と神への礼賛、人生と幸福の肯定
という文脈の中で
教会から言われてるんじゃない「何か」をわたしは確かに受け取ったんじゃないかと思う。
その中でも、このベッチ・カルバーリョの声は別格にわたしの魂に響いた。
それで、
ブラジルに行きたい!
って、わたしは思った。
彼女のライブを見たい。
で、わたしにとって行くってことは、1週間ぐらい行くとかじゃないから
とにかく言葉よ。
言葉が喋れなきゃ行っても面白くないのよ、わたしは。
それでポルトガル語を習い始めた。
わたし語学脳だから、当然上達は早い。
とっとと進んでいて、あとは習わないでも自分で勉強すればいい線いける、と思っていたわけだけど、
あるとき勉強していたら
元旦那から、
そんなことやってバカじゃねえか?
と言われた。
ものすごい顔で、ものすごい言いようだった。
今でも、思い出すと気分が悪くなるほどの。
それでも、本当にやりたければ構わず続ければよかったんだとは思う。
けれど、その時、わたしの中でその意欲は完全に失われてしまった。
そうか、この人といる限り、ブラジルに行くなんてことは実現されないんだな
とも思った。
当時、そしてそれからしばらくの間は、わたしが始めるすべてのことは否定された。
それが本当に楽しいとか、うまく行った、とかの話を彼は必ずバカにして、それ以上のことを話すことはできなくなった。
だからわたし個人として「やったー!」と思うような出来事、嬉しいこと、楽しいこと、新しい素敵な人間関係、
それらはわたしの「個人」の中のことで、家に持ち込むことをしなくなった。
後になって、
そんな風に、楽しそうにしていることや、うまく行っていることが羨ましかっただけだったんだ
と言われたけれど、
人のハピネスに「よかったね!」と言えない人のほとんどは「妬み」であることを知った。
まあ、妬みを持ちながら生きるのは大変なことなんだろうと思う。
けれど、相手のハピネスに全力でケチをつける必要はどこにもないと思う。
もちろんそーゆー嫌な記憶はわたしの中に常にあるわけではないけれど、
ときどき、浮上してくれば当時の心の痛みを思い出すこともある。
今は、例えばこの修道院だって、もう否定はされない。
でも嬉しいことを手放しで話すことは、わたしはしなくなっている。
それには適した人ではないというだけだから、別に問題ではない。期待をしないということをわたしは学んだ。
彼女の死去のニュースで
やっぱりあの時ブラジルに行っておくんだった、、、、と思い出したら、そこに紐づいた嫌な記憶も思い出した。
ま、この世はパラレルだから、
彼女がまだ元気で歌っている世界にも、いつか行けるだろうと思うことにする。
でも言いたいのは、
「いつか」なんてありえない
ってことだ。
人は死ぬから。
会いたい人には会っておかないと。
「そのうち」なんて言ってるうちに、この世の存在ではなくなってしまう。
それは自分自身も同じで、「いつかやりたい」なんて言ってるうちに死んじゃう。
人間、やなことをやってる時間なんか本当にないんだよ。
読んでくれてありがとう!
またね〜!