老害・我々・デジタルネイティブ

 

わたし、「若い人」は、もれなく「それ以前の人」より優れていると思っています。

無条件に優れているはず。

だってOSって、新しい方が優れてるじゃん。

人というデバイスの中に内蔵されたOSが、若けりゃ若いほど最新のやつがインストールされてると考えている。

 

 

昨日、友達からいい話を聞いた。

現在、東京を離れて某地方の大学に行ってる息子は

学校での専攻とはまるで別に、「写真をやりたい」って言い出したんだって。

友達(つまり親)は「好きにやりなよ」と言ってそれを黙って見ていたら

いつの間にかインスタとかを使って、

同じ指向性のフォトグラファーにコンタクトしてあれこれ聞いたり、交流したりで

あっという間に全国にコネクションを広げていて

なんだか知らないけど、アマチュアではあるものの、ちゃんとお金もらって撮影の受注を受けられる体勢を、あれよあれよという間に作ってたんだって。

その他にも、バイト先で人をまとめるマネジャー的なポストになっていたりで

今は「どんな大人がいるのか、いろんな大人と話すのが楽しみ」って言ってるんだって。

で、親に

「俺の可能性を潰さないでくれてありがとう」

って言ったんだって。

 

この話にどう思う?

 

子どもは

(っても、はっきり言って読み書きができる時点で「子ども」なんてナメたらあかん(天童よしみ)とわたしは思ってるけど)

「話したらワクワクするようなことが返ってくる大人」を求めてるんだよ。

 

生きていく術(仕事)の見つけ方や、人との繋がり方なんて、

今の時代に合った、しかも本人に合ったものってのは

ほっときゃ本人が勝手に見つけるもので、

すでにデジタルネイティブな若いOSが搭載された方々に

古い世代が「指導する」ことなんて、実際は皆無なんじゃないだろうか?って思う。

ましてや「教育」だなんてあなた、、、、

 

ま、せめて何かの説明を求められたら自分の言葉で答えられるようにしとく、

ぐらいのことしかできないんじゃないかしらね。

「世の中はそういうものだから」っていうイミフな答えではなく。

だって「世の中」ってバリアブルで流動的よ。

 

 

この友達は、とにかくそのセリフを聞いて

「子育ては完全に終わった」って感じたと言ってた。

もとより、あれダメこれダメ言うタイプじゃないし、

彼女の口から「応援してる」は聞いたことあっても

「心配だ」は一回も聞いたことない。

 

 

「心配」ってテイのいい言葉だけど、

わたし自身は親からめっちゃ「心配」という錦の御旗のもとに

かーなりの干渉を受けた。

親はそれが教育だと思っていたようだけど、

わたしには呪いに過ぎなかったし、だから反発し続けたわよ。

実際、親の言うことはほっとんど聞かなかった。

親の言うとおりにしなかったら不幸になるのか、という実験だよ。

結果、この通り、キャッハーだよw

 

我々世代だと親から干渉された、がまあ一般的で、

多くはその「後遺症」に悩んでいるか、

後遺症だと認識もできないまま、疑うことなく自分のOSのフル機能を使わずして

バッテリーだけ消費している状態だったりするよね。

 

 

だけどさー我々世代ってのは、

上を見たら老害

下を見たらデジタルネイティブ

っていう、なかなかに面白い立ち位置にいる事実。

これ、自覚ある?

 

今となっては、老害世代と話が合うようじゃおしまいだわよ。

だって、それって自分も老害化してるってことだもん。

そして、ここが重要なのだけど、

誰だって自分が老害だとは思っていないのよ。意図してるわけじゃないの。

責めても仕方のないことよ。

自分がそうならなきゃいいの。

 

 

人間にはすべて正しいOSが実装されている、という前提で

若い人に接することができるかどうかは、古い人(自分含む)の課題なんだろうね。

 

そして正直、彼らは

我々に何の期待もしてないと思う。

そんなにバカじゃないんだと思うの。

だったら、「話したらワクワクするような」

上機嫌全開の大人

でいることが、せめてもの「義務」だと思うわ。

へー、年取るって楽しいんだ?って思ってもらえるような。

だって、それが「希望」ってもんじゃない?

 

 

 

そして、老害の話をするたびにわたしの脳裏には、

樓外樓飯店

が浮かんでしまい、食べたくなる。

困ったものだわ。

根本的に、脳があちこちに飛びやすいのよ。

 

 

読んでくれてありがとう!

 

またね〜!