パワースポットに行くより、パワースポットになれば良い

みんな大好き《パワースポット》。

「どこそこがパワースポットらしい」と聞けば、「え、どこどこ?」。

何に効くとか効かないとか。信じるとか信じないとか。

 

 

違うと思います。

 

何がどう違うのか。

 

「どこどこに行けばパワー(エネルギー)を得られる」とか「ご利益がある」とか、そんなことはあり得ない。

あり得ないというより、そんな考えは都合が良すぎるのです。

 

「●●を得られるから、する(行く)」って、それはただの損得勘定で、「自分に都合のいいことをしてもらえるなら行動する」というせこい考えに過ぎません。

 

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ワタクシが思うに、しかし、いわゆる「パワースポット」は確かにある。

でもそれは感知する《受信機》が付いているかどうかが問題であって、そもそも受信機を持っていなければ、どんなパワーもキャッチできない。

受信機の感度が鈍かったり、あるいはその周波数には合わない、ということもある。

実際は誰もが受信機を持っていますが、日々の過ごし方や考えの持ち方次第で、アンテナが錆びついてしまっているケースがほとんどかと思います。

それにパワーといっても、必ずしも体感がすべてではないです。

ただ、体感は、確かに「何か」をキャッチしているんだという満足度を高めてくれるかもしれませんが、本当のパワーは「ゼロ」にしかないので、飛び抜けて「良い」といったようなものはない。

 

プラスでもマイナスでもなく、どちらにも傾いていない、「完全なる混沌」とでもいうようなもの(状態)の中に本当のパワーがある。

プラス(ポジティブ)にせよマイナス(ネガティブ)にせよ、それは単なる数値か、あるいは人間の意識が作ったラベリングにすぎません。

「善」とか「悪」とか意識している限りは自分の、あるいは社会の思考の奴隷となっているに過ぎません。

 

 

でも、あると思います。

「そこに行くとなんだか気が休まる場所」

「そこに行くとなんだかさっぱりする場所」

「そこに行くとなんだかウキウキする場所」

そういった場所は実際の生活の中でいくらでも見つかる。そんな場所はある種の「気」が流れているのでしょう。

 

そこで言うとワタクシにとっては、我が修道院、坂ノ下、鎌倉は気が休まるパワースポットです。

イタリアに行くと、ほっとするとか落ち着く。パリもそう。ローマに行くともっと落ち着く。教会に行ってキラキラしたものを見るとウキウキする。だからパワースポットだし魂のふるさとでもある。前世の記憶であるとも言われました。

 

これは人にも当てはまって、「その人といると気が休まる」とか、「気が合う」とか。

生き物に限らず物質はすべて気を発しているので、それが交流し、なにがしかの効果を与えあうのです。そこに「合う」とか「合わない」が発生します。

そして「合う」や「合わない」じたいも、常に自然なことですから、別に大袈裟に気にするようなことではありません。

 

 

そこでワタクシが言いたいのは、「あなたがパワースポットになればいい」です。

環境からの影響を受けない自家発電できるエネルギー装置に、自分がなればいいと思うのです。

セルフパワースポット化した人は、外部の影響を受けません。

例えば日々、嫌なニュース(本当に最近はわざとなのかと思うぐらい嫌なニュースしか報道されません)を見聞きしたり、お門違いなことを言ってくる人の攻撃を受けたり、あるいは理不尽な仕事を押し付けられたり、思うようにことが運ばなかったりしても、自らのエネルギーが枯渇することはありません。

それらはすべて、自分の外で起こっているからです。

自分の中にエネルギーの湧き出る泉を持てば、仮に外で起きることに一時的な影響は受けても、ひとりでにパワーが充満し、リカバリーします。

 

 

さて、「いわゆるパワースポット」があるとしたら、その逆も同様にあります。

つまり「逆パワースポット」。

人の念や思い、重たく淀んだエネルギーが停滞している場所。行かない方が良いところ。

もちろん、これもまた「受信機」の問題で、感じない人は感じないと思うのですが。

 

これまた人に例えても同じで、例えば、ある種の人の周りには、やっぱり同じような人がいる、という原理。

何につけ文句ばかり言っている人の元には、文句屋が集まってきます。

自分に起きた不運や苦労への同情を求める話や、人のしょうもない噂話、社会のあれこれに対する批判などで盛り上がっている人たちは、批判をすることで楽しく過ごせるので、いつまでたってもネガティブを手放しません。

 

そういうことが「悪い」わけではないのですが、当然批判というのは起きてしまった過去に向けられたものですので、未来を向いていません。

ですからエネルギーは当然、その時と過去をぐるぐる回るだけなので、停滞し、淀んでいきます。

そういったものを好む人が、その場になじんでいるというだけです。それも「気が合う」ということです。

そしてそういったものを好んでいるわけですから、当然、それにふさわしい事象を次々と呼びます。そしてまた、そのことに関する文句や愚痴などで楽しく過ごす、というループに入ります。

 

 

自分が何を選ぶか、ものごとをどう捉えるかは全て自分次第なので、好きな方を選べばいいのだと思います。