泣きたくなるぐらい孤独

 

7月は捨てた話ですけど。

体調は良くなって、まあ見たところなんでもないわけだけど

メンタルに強くきています。

あり得ない規模の深い悲しみ。

ちなみに言うと、わたしは内面にどれほどしんどいことがあってもそれが表面にあんまり出ない。

昨日は綺麗な赤を仕入れた。

 

目の前にある楽しいことをしていながら、一方では超悲しい、

ということは、むかーしからあったし、今もこの先もそうなんでしょう。

そういう時に感じるのが孤独というものでもある。

それで、人間て深淵なものだなあと実感する。

 

 

頭では理路整然とわかっていて、

こんなものは「波」に過ぎない。

潮の満ち引きに過ぎない。

ハッピーを感じるがゆえに、その真逆も感じるのは当然のこと。

悲しさがあるから、それが反転したものを感じることができるわけで、

今悲しいなら、次は確実に反転する。

そんなことはわかっていたところで、この悲しみが直ちに去るわけではない。

悲しみは払いたいと抵抗する限り、それを強く意識してしまうから

結果自分の振動数をより落とすわけだよね。

 

こういう時、「禅」の考えはかなり有効だ。

悲しいなら悲しみに徹底的に同化すればよい。

悲しみというものが自分の周囲を囲んでいるのなら、自分もその中に飛び込んで、

悲しみそのものになってしまえば悲しみを感じることはない。

 

自分はどうして悲しいんだろう?と徹底的に考えて、

原因を突き止めたら原因を潰すか、リリースする、も有用だけれど、

時に「そんなレベルではない」ってのもある。

そんな時は「禅」。瞑想なんかはしなくていいと思う。

 

 

集合意識・集合無意識というものは本当に厄介だ。

わたしの場合はリアルを伴う事象として現れてくる。

人の一生というものが、「前回の続き」で輪廻なら

やり残した宿題のために

あるいはツケで飲み過ぎた飲み屋への支払いのために

わけもわからずビンゴカードの穴をあけまくるわけだが

要するに全て「想念」だ。

あらゆる感情を味わうために、魂は何度も何度も生まれ変わり、

現れる事象を経験して、感情の線を揺らされて、クリアして

「はいまた次回」となるか、

「はい、終了」となるか。

 

わたし正直もう、うんざりだ。

わたしはもう結構やった。さんざんやった。

何千年間も、ありとあらゆる場所で、やった。

そしてそのたびに孤独を感じては死んで、やり直したのだろう。そして今に至る。

けどもうわかったから次回はナシにしていただきたい。

今回の人生では、あと何と何をやればいいのか、とっとと教えてくれよって思ってる。

 

 

人類のテーマは「孤独」だ。

生きている限り、それが消えることはない。

超わかりやすく究極言って、仮に、どんなにフィットする愛し合える人を探し当てたとして、相手が死んだら生きてる方は「孤独」が叩きつけられる。

だから孤独なんて地上で絶対解消されるなんてことはないわけだが、

それを味わうためにわざわざ派遣されてきている。

 

でね、

つらい→孤独だ→酒飲んで泣いている→つらい (演歌のループ)

つらい→孤独だ→でも自然は美しい→神いる→俺は孤独じゃない→神ありがとう→酒もうまい→神ありがとう(サンバの感謝)

 

てな具合で演歌なんかなんの慰めにもならない。

人生はサンバだ。

・・・・もはや何が言いたいのかわからなくなってきたw

 

 

昨日、会話の中で、いやーコーニング=「火による浄化」というのが出てきたけど

もしかしてこないだ受けたから浄化作用として、表面に出てきてるのかもね、と思ったり。

奇しくも、

本日は鎌倉は花火大会。

花火はそもそも鎮魂のため。

もう新時代だから、わたしたち何千年の想念も、花火のように消えていけ

って、今思ってる。

 

 

 

読んでくれてありがとう!

 

またね!

 

あなたの話も聞かせてね。

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