孤独の話(2)死ぬことと見つけたり

 

(続きよ)

 

でさー、

とにかく「絶対的な孤独性」というものを考えていきますとだよ?

そこには答えがない(ように思える)わけだから、

あーーーーーーーやだ、ほんとやだ

って思うわけなのよ。

実際は、そんな勢いよく言葉になってるんじゃなくて、言葉すらないのよ。

もわ〜〜〜っとした「気分」、あり得ないほど悲しい気分。

こんな状態が続いたらわたし鬱になるって思ったの。

 

♬エアの切れた〜 ダイバーほ〜ど〜 苦しいの〜よ〜い〜ま

うーーーーダイモンダ〜♬

な、気持ちだよ。

(あ!今回あの曲の真のすごさがわかったわ)

 

なんでも「わかった!」ってならないと気が済まないわたし。

ところが「問い」から40年、「答え」が出てないってことだけが事実じゃん。

いやー、わたしもうこの件飽きたわ、あき竹城だわ、って思ってね

もういいわ、終わりにしたいって思ったの。

わたしのバーイ、飽きたらすなわちそれは終わりなのよ。

「飽き」とは「変化がない状態」に対してわたしに起きる反応。

 

じゃ、どういう「終わり」があるのよ?ってなるじゃん。

そうなるとたった一つしかないわけよ。

それは「死ぬこと」よ。

そしてできればもう二度と転生もしたくないわ。しないって決めてるの。

とにかくわたしは昔っから「早く死にたい」って思ってるのよ。

 

 

でね、死ぬってさ、

一般的にはみんな、すごく嫌がるでしょ、その話。

「死にたい」って言ったらすごくネガテイブな響きなわけでしょう?

でも、わたし昔からそんな風に思ったことなかった。

これも絶対伝わる自信がないけど、「別に死んだっていいじゃん」て思ってるのね。

つまり禁忌ではないというか、「普通」っていうか、

生きてたってどうせみんな死ぬんだから、という根本的なアレがある。

なんで生きることが前向きで、死ぬことが後ろ向きだと思うのかわからないっていうか。

だって、生きることって死ぬことでしょう?

死ぬことと見つけたり、よ。

結局そこでしょう?

 

でも現代って、みんな死ぬことを避けたがるから人が「死なない」じゃない?

その弊害って実はとんでもないじゃん。

(これ書くとまたクソ長くなるからいつかね)

だけどなんでみんな、死ぬことをそんなに恐れているんだろう?

という、これまた子供の頃からの疑問よ。

 

 

でさー、「死にたい」って言ったらみんな「えっ」てなるのは、「自殺」を想起する人が多いからってのもあるよね。

わたしそこも違っていて、自殺って考えたことないのよ。

まずだいたいがめんどくさいじゃない?

それに自殺ってポイント低いっていうか、宇宙原則では絶対悪だとされてるじゃない?

悪じゃないにせよ、今までの何千回だか生まれてから死ぬまでに加算されてるマイポイントが

一気にパー!どころか、むしろマイナスくらうわけでしょう?

それもったいな過ぎるって思ってんの。

何や彼やありながらも何千年間もやってきたってゆーのに、ここでパーかよ!という根本的なケチ根性があるわよ。

なぜかけっこう頑なに信じてると思う、その仕組み。

だから死ぬなら病死も含む「自然死」しかないわけよね。

ところがさー、わたしって、めっちゃ健康なのよ!

 

 

そこで気付いたの!

 

 

続く!