「海獣の子供」〜わたしたちは言葉の奴隷

 

見ようと思っていて、気がつけば上映期間がほぼ終了。

慌てて探したらお台場で観れるとわかり、滑り込みセーフで観てきた。

一般的に言ったらものすごく難解だと思うけど、修道通信の読者ならすんなり受け入れられる方が多いんじゃないかな。

深淵な「生命のものがたり」は光の話であり闇の話であり、約束の話である。

 

わたしたちは何かを伝える時、言葉というツールに依存し過ぎている。

目に見えるものによって理解し、交わされた言葉を信じようとする。

それが正確でありますように、きちんと届きますように、何度も何度も「言葉」を使って伝達しようとするけれど、

どんなに頑張って言葉を編んだところで、

言葉は本来ある情報のほんのわずか、一部に過ぎない。

情報を言葉にする時点で、多くのものは失われてしまい、

つまり言葉は発せられた時点で「ロスト・イン・トランスレーション」だ。

そんな真実からは程遠い残り滓のような一部を巡って

わたしたちは傷ついたり傷つけたり、喜んだり喜ばせたり、絶望したり希望を持ったりする。

けれど「大切なことは目に見えない(星の王子さま)」のと同じで

ほんとうのことは言葉では伝えたり理解したりはできないんだよなあ、、、、

ということをあらためて思った。

 

・・・・ということでさえ、このように文字にしている時点で

すでにわたしの思いとは離れている。

(最近、文字を書いてはすぐにめんどくさく感じてしまうことも、この辺のことと無関係ではない)

 

 

何が、どう、というのを伝えることはできないが

いくつかのシーンで涙がこぼれ、エンドロール後のシーケンスで号泣した。

余韻がすごくて、強く意図して席を立たなければいつまででも泣いていただろう。

 

 

しかも、スピ的にいくらでも説明できる「君の名は。」より説明的ではなく

それゆえ難解で、「わかる人にはわかる」的な映画だが

逆に言うと「感性の世界」を説明的ではなくここまでダイレクトに表現した作品が

ここまで大規模に公開される時代だってことに感慨を覚える。

そして「わかる人」(この「わかる」は作品の説明や解説ができる、ということよりも「受けとれる」という意味)は絶賛し、

わからない人はどうやってもわからないので理論的説明を求める、、、という世界にますますなっているのだろう。

 

ついでに、

ここまで素晴らしい映像表現を可能にしている日本のアニメーション業界の技術の至高さを思うと、

そこに従事する人々に対して起こされた最悪な事件が悲しくてやりきれない。

 

これから公開されるところもあるようなので、

まだの方はぜひ観てみてください。

修道院の前の海、近所の風景も描かれてます。

http://www.toho.co.jp/theater/ve/kaijunokodomo/

 

 

読んでくれてありがとう!

 

またね!