身体は不思議、からの素晴らしい一日だった

 

今日は神保町界隈で、ある方に身体を診てもらい、

まあいろいろと不思議ではあるのだが、身体というものはどこまでが物質で、どこまでが「別なもの」なのかはわからない。

自分として、不思議というよりものすごく感動的に腹落ちした件があり、

「はっはーーー、なるほどね、そっかー!やっぱ、そっかー!」

と納得しながらその場を離れ、

お腹空いたので、偶然見かけた近くにあった蕎麦屋に入り、いろいろとかみしめていたところ、

ふと見上げるとその店の暖簾が我が家の(じいさんの)家紋と同じだった。

わたしは「ご先祖様」みたいな言葉を重用する傾向にないのだけれど、

なんだかこれにはピンときて

「そっかーーーーー」と思ったらじーんとした。

 

じーんとしたせいなのかなんなのか、

その瞬間持っていた湯呑みが手から落ちて、

「冷やし納豆そば」の中にボトンと落ちた。

思わず「ぎゃ!」とでかい声をあげるも、

蕎麦の器は真っ二つに割れ、流れ出す大根おろしと蕎麦つゆよ。

やだ、ごめんなさい、すみません!手が滑っちゃった!!

と言ったら「作り直しますよ」と言ってもらい

 

と言っても、蕎麦はほとんど食べきっていたのでそれを丁重にお断りしたところ、

「よかったらどうぞ」とスイカを出してくれた。

江戸前らしい愛想のなさだが優しさを感じた。

 

美味しくスイカをいただき、

お代を渡そうとしたら、半分しか受け取らなかった。

 

 

その後、三省堂で本のリサーチをし、

こないだある方にレコメンドされてた三浦百恵さま(AKA山口百恵ちゃん)のキルトの本もパラパラとめくってみた。

現在の百恵ちゃんはかつての百恵ちゃんの面影はまるでなく、

つまりオバハン

だった。

ある意味、そこら辺の誰よりも、オバハンらしいオバハンになっていた。

そしてそれは悪いことでも、残念なことでもなんでもなく

それを見て衝撃などでもなく、

「それが幸せというものだろう」

と即座に思った。

安心してオバハンでいられることほど、幸せなことはない。

いや、そうなんだよ。そういうことだよ。

なんだか令和を感じた。

 

 

そしてクソ暑いのでたまらず「ラドリオ」に行き

冷たいものでも、と思ったら、

お店のお姉さんがカウンターから、派手にグラスを落っことし、粉々に割れた。

 

わたしはイタリア仕込みだから(爆笑)

食器の割れる音は失礼とか不愉快というより

むしろ祝砲だ。

 

信じられないけど、ここまで書いて、今キッチンで、重ねてあった洗った食器が崩れる音がした。

ほんとだよ?

 

 

わたしの後半戦は絶対めちゃくちゃ良い!

 

そう確信した!

 

 

 

 

読んでくれてありがとう!

 

 

またね〜〜〜