内面を変えたければ、外面を変えるのが良い

とかく日本人は、「人を見た目で判断してはいけない」という意識が強いんじゃないかと思います。

「外見じゃないよ、人は中身だよ」とか。

 

でも、どうでしょう?街ですれ違う9割以上の人は初対面で、9割以上の人はあなたがどんな人だか知りません。

初めて入るお店の人は、あなたのことをまず印象で判断します。

どんな人だか知らない人を、パッと見て「内面が素晴らしい」なんて、わかるはずがない。

向こうから人が近寄ってきて、なんだか妙な格好をしている人と、清潔で整った服装の人だったら、こちらの警戒心は違うと思うのです。

 

外見というのはいわば看板とか信号のようなもの。

 

 

 

「外見じゃないよ、人は中身だよ」。それはもちろんそうです。

でも「中身」をよく知るほど付き合う間柄なんて、実際は出会う人の数の何割かと。

その「格言」めいたものにあぐらをかいているのは、どうなんだろう? とつねづね疑問に思っているわけです。

おしゃれに気を使うことが、少なくとも美徳とされないなんて、ちょっとどうかと思うのです。

例えば政治家のおっさん方。

国を代表しているわけですから、もう少しバリッとしていて欲しいものです。服装も、居ずまいも。

 

 

あ、それで。

 

先日、Netflixで、レディーガガのドキュメンタリー映画を見ました。

情熱大陸的に、密着して撮影されたものです。https://www.netflix.com/title/80196586

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わたしはこれまで特にガガのファンでもなく、素晴らしい歌い手であること以外に、ことさらの関心があったわけではないのですが、このドキュメンタリーに映しだされた彼女のハイパーセンシティブな一面を見て、感じるところは大きかった。

 

印象に残る箇所はたくさんありますが、中でもハッとしたのは、

彼女がこれまで、異様とも言える奇抜なルック(生肉のドレスとか、巨大なエビを頭につけたりとか、それ以外にも、まあ、ガガといえば異様なコスチューム!)をしてきたのは、端的に言って自信がなかったから。(あれだけ成功の連続だったのに!)

それは自己表現である以上に、まさに仮面を被ることで別な自分を演じる、つまり極度に自己防御していたんだということが明らかになった場面。

そして、昨年出されたアルバムのプロモーションでは、それまでのイメージを覆して「素の自分を出す」をコンセプトにした。それができたのは、自分として満足いく成功を手にしたからで、それ(成功)無くしては自信を持つことができなかった、と。

 

唸りました。

彼女ほどの才能豊かな人物でも、それでも内面に不安や恐怖を抱え、それを克服するために外見をデコレーションする。

まさに「セルフ盛り土」。

 

 

また、それは最近読んだ「異色肌ギャル」の記事を思い出させました。

異色肌ギャルとは? 「ウチらが一番カワイイし」ド派手メイクの理由を聞いてみたよ。

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この記事にもそこはかとなく感動を覚えたわけですが、異色肌の彼女たちとガガとは同じ心理です。

 

女の子はすごいな。自分を極端に変身させることで、自らを安心のバリアで包むことを見出した。記事に出てくる「メイクセラピー」というのは、なるほどそうかもしれないと思いました。

 

 

まあ、ここまで極端じゃないとしても、女性は大なり小なり、そういう「工夫」ひとつで、自信を得たり気分を転換したりできる。本来的に強く、前向きな生き物なんだと思います。

 

わたしが創るアクセサリーも、女性たちの「内面」に、強く影響するものでありたいと思っています。「あってもなくても同じ」なら、ないほうがいいのですから。

一人でも多くの女性が、本来の輝きを取り戻したり、さらに輝いたりできるように、と坂ノ下修道院では心から思っています。

 

あ、それで、また思い出したのですが、

最近なんかの拍子にYouTubeで、「斎藤一人さん」の講演の音声動画を見たのですが、

内面なんて簡単に変わらないんだから、光り物をつけなさい!外見を変えりゃいいんだよ!

キラキラしたものは悪霊を避ける、みたいなことを話されていて、我が意を得たり!と思ったのです。

 

なんだか最近、「内面と外見」テーマについて、立て続けにインプットがあったので、修道通信としてアウトプットしました。

 

女の子、みんないろいろあるけど、前を向いていきましょう!