岸恵子さま。素敵に生きる人は、「素敵に生きるための本」なんか読んだりしない

 

先日、かねよん本のリサーチがてら、ひさびさ丸の内の大型書店に行った。

今や本はほとんどAmazonでしか買わない、たまに本屋を覗くといえば鎌倉のお気に入り「たらば書房」だけ。

書籍といっても、もしKindle版があるなら間違いなくそちらを選んでしまう。

そして、わたしは毎年年間100冊以上の本を買うが、実際の読了率は低い。

 

「かねよんの本」はなかなかに難儀で、この一個人のクロニクルを書籍としてどのような方向性に持っていくのがいいか、ここへきてかなり思案のしどころとなっている。

それで丸善に行ったわけだが、

とにかく思うことは、

本が多すぎる

だ。

で、世の中に「読む価値のある本」なんて、実はそんなにない、とわたしは思っている。

 

日本の「出版」の儲けの仕組みは、かなりのカラクリだ。

そういや数年前、まさに下野さんがこの「出版業界の仕組み」を詳らかにしていたから覚えている人もいると思う。

出版社にとって、本は「出す」時点で儲けになるから、とにかく出しに出す。

極論言ったら、出すべき良書である必要などない。同じ著書の、同じような内容の話が、版元を変えていくらでもある現象はここに起因していると思う。

 

(しまった!なんだか真面目に書き始めてしまった)

 

 

とにかく。

今なら

「目覚め本」「自己肯定本」「あなたはそのままでいい本」「宇宙と一体化すればうまくいく本」「掃除すれば運が良くなる本」「幸福本」「強運本」「幸せの習慣本」「自分軸で生きる本」

そんな似たようなのばーーーーーーーーーーーーーーーーっかりがゴマンと並び、

平積み期間を過ぎれば忘れ去られていく。

で、また新しいそれ系が出る。

 

ちょっとウケる。

みんな、どんだけいつまでも目覚めたがってるんだろ、って思う。

そんな本を「読んだ」だけできっちり目覚めて幸せになったヤツいるのかしら。

とかなんとか。

毒も吐きたくなる。

 

 

そんな中、

パッと見ただけで「買お!」と決めた本がある。

買った。

敬愛する岸惠子さまのエッセイ。

「孤独という道づれ」

この、表紙のジャン・コクトー!

 

文才に長けていて、流れるように書かれた内容は深く、引き込まれて一気に読んだ。

エピローグは涙が出た。

一気に読むのがもったいないほど、素晴らしく味わい深い。わたしにはすべて沁みた。

こんな読後感はとっても貴重で、なかなか得られるものではない。

あまりに心を打たれたので、彼女の筆による既刊は、エッセイ、小説すべて買い、読もうと思う。

(素敵な人には生きてるうちにお金を払いたい、というわたしの考え)

 

・・・・と書いた時点で、

これがどう素晴らしいのか、を言語化することを非常にめんどくさく感じている。

どうせ誰にも伝わらないと思っている。

しかしすべてのページ、すべての行、すべての行間に表れている彼女の「感性」と

ときどきは「経験」、そして全体を通して「主張」に

わたしは完全に同期している。

現実的にこれは85歳の女性が書いていることだけれど、

彼女は85になったから、慌てて「生きること・死ぬこと」を言い出しているわけではない。

わたしもその一人だが、若い時から「生きること・死ぬこと」について考え抜いてきた人間にとっては、

長年の自分の「哲学」とか「美意識」と呼べるものに対して、

「老い」や「年齢」の「実感」というものが「やってきた」というだけに過ぎない。

そして、そういう人は「老けない」んだと思う。

 

 

そして彼女はジャーナリスティックな視点というか、

この本には「ジレ・ジョーヌ」の話なども出てくる(のでかなり脱稿から出版までが早いプロセスなのだろう)。

まあヨーロッパに暮らしていれば当たり前だが、社会的事象に紐づいたご自身の体験と心の中を存分に書きたいのだが、

出版社からは、

「日本人は世界の(日本以外で起きている)時事問題などには関心がないから、彼女の書くもの、描く世界に興味は持たない」から、

それよりもっと(当たり障りのない)岸恵子個人の話を書いて欲しいと言われたそうで、

日本(だけ)に暮らしている人にとっては「実感を伴わない遠い話」なんだろうという点と、その一抹の寂しさもわたし個人としては、相当よくわかる。

これについても実はわたしは言いたいことが山ほどあるけれど、書くのはやっぱりめんどくさい。

 

 

波乱に満ちた人生の最終地点にきてもなお「素敵な人」というのは、

突然「素敵になる」わけじゃない。

ただがむしゃらに「生きる」に立ち向かうだけ。

そしてやっぱり「自由と孤独」がキーワードだ。

自由のために孤独である人だけが行ける場所、というものがある。

「悲しみがなければ、良いサンバとは言えない」と同じだ。

自分の美意識に従う以外はない。

素敵に生きる人は、「素敵に生きるための本」なんか読んだりしない。

 

ちなみに彼女の人生がどんなものだったかは、グーグル先生が見つけてくれたこの記事で少しわかるかもしれない。

岸惠子(3)パリ、1950年代

 

岸恵子さま、本当に素敵な方。

こんな方がまだ現存しているということはわたしにとって非常な幸いだと思った。

陳腐な言葉だけど、非常に非常に勇気付けられた。

 

 

蛇足だけど、

わたしの思う「現存する日本3大女優」は

岸恵子さま

吉永小百合さま

若尾文子さま

だ。

全員毛色が違う。

女優としてどう、という前に、存在そのものが素敵だ。

 

 

さらに蛇足だけど、

岸恵子さまが、わたしが美空ひばりさまに感じている「好きじゃない感」を「下品力」という表現でドンズバ言い当てていて

わお!と思った。流石だ。

この点、極貧の生い立ちだった藤圭子さまには、そのドスの効いた声とは裏腹に「下品力」はない。

だから藤圭子さまの声は、いつまでも聴いていたくなる。それなのに、楽曲がビンボくさい女の歌すぎて、聴けば聴くほど不幸になる。

という「藤圭子論」には戻らないw

 

 

 

・・・・・とかナントカ言っておいて

「坂ノ下修道院が提唱する 素敵に生きるための12章」みたいな本出して

みんなをドン引きさせる、とかもいいね(爆笑)

 

 

 

 

読んでくれてありがとう!

 

またね!