似て非なるもの。マウンテンとマウンティング、、、

 

いやーーーーーーー

毎年恒例の「七面山登山」まで、あと1ヶ月となってしまった。

今年で8年目かな。例によってトレーニングしていないので焦りを感じるナウw

この恒例登山に関してはこちらを読んでね!

人生は修行なんかではない

 

でね、、、、

山(マウンテン)だけに、マウンティングの話をしますw

(嘘だよ。マウンティングっていうものの定義が、わたしよくわかってないのw)

 

いや、この話はなかなか真意を伝えられないと思うんだけど、

特定個人のことではなく、ただの事例?として読んでほしい。

(その方に対してどう、という話ではないです)

 

 

あのね、先日、今年も登るので、一緒に行きたい人はメッセージをドゾー!みたいなことをFBに投稿した。

まー、登るメンバーは毎年恒例でもあるけど、誰が加わっても構わないんだよね。(各自勝手に自分のペースで登るから)

 

そしたら、ある方が

「自分は若い頃、連続3回登った。七面山は霊山なので、一度参りではダメだ」

とか、「下山後に滝で禊をするのをおすすめ」

というようなことを書き込んでくれまして。

いや、わたしも7、8回行ってるので、まあ、、あれなんだけど、

でもま、それはその方個人の、いろいろな体験やご信仰などあってのお話でしょうから、、、とまったく悪い意味ではなく捉えていたわけです。

 

そしたら翌日、メッセージをいただきまして、「8回も行ってるなら何かアドバイスを」とおっしゃるので、

う〜〜〜〜ん、、、、となってしまいました。

何度も登っていらっしゃるような方に、アドバイスなんか、ないし、

だいたい何のアドバイス?

なので、人それぞれだから、アドバイスは特になしと返信なんですけれども、、、、

 

その方は、「3年連続で登ると仏の世界に近づけると聞いているので」というご自身の信仰を教えてくれた後、霊山なので魂が(どうのこうの・・・・・)と続きました。

思い切り、その方のスピ的世界をわたしが共有している前提ですよね、それ。

 

それ、わたしがこの方と昵懇であれば、話にノレたかもしれないですけど、

一度お目にかかっただけで、深い話もろくにせず、

要するに、お互い、よく知らないわけです。

 

確かにわたしは毎年必ず登っているけれど、仏の世界に近づきたから登っているわけではなく

登りたいから登っているだけ、なんだよね。

登らないと気が済まないから、まあ、渋々ながら登っている、という方が正しい。

年中行事ってそんなもんでしょう。

 

 

いや、ちょっと、わたしが言いたいのはですね、

ほんと、人それぞれ

 

それに尽きるんですよね。

 

 

「●回だとダメ」みたいなのは、「その方の所属する世界」でのルールかも知れないけれど、その世界にわたしは属していないわけです。

 

そういうね、

誰が決めたかわからないルールを信じる時代は、もう終わりにしましょうよ

とわたしは思っているわけでして。

●回が正しいとか、正しくないとかも、関心がないわけです。

この世に正しいも何も、ない。

そういうものが「ある」と考えてるから、世界中でコトをややこしくしているだけ。

もう、新時代です。

 

 

難しいなと思ったのは、

修道通信の読者なら、わたしが「〜でなければいけない」論をことごとく敬遠していることをご存知でしょうが、その方はそうではなく、一度お会いしたというだけで、わたしのことをほとんど知らない。

お会いしたのは、わたしのアクセサリーのエネルギーを「体感」してくださったりした関係で。(ほら、わたし自身は体感しないでしょ?自分の手から出たもののエネルギーはさ)

 

人それぞれですので、わたしにアドバイスできることはありませんよw 毎年登っているだけです。毎年登る中で、いろいろな気づきがあります。 数年前、大いなるものと一体化した感覚を得ました。

 

と返信したところ、

 

「あれ…。
そうなのですね…

以前にお会いした時に、おさないさんは、あまり感じない方と言ってましたが、七面山に登られていろいろと得るものがあったのですね」

 

と返ってきて、なんだかちょっと、、、、

 

七面山だけで何かを得ているわけでもなく、、、

 

いや、、、、どう言っていいのかわからないんだけど、

少なくともあんまり愉快な気持ちにはならなかったなあ。

 

 

わたしね、「マウンティング」とか「上から目線」とか

いわゆるそーゆー、急に出てきた流行り言葉をね、やたらと使うの好きじゃないです。

(修道通信で今まで一度も使ったことがないはず)

だいたい、「マウントされた」「上から言われた」って、感じる側の問題なんじゃないのかなー?と思ってもいます。

で、それが不愉快ならきちんと相手に伝えたらいいんじゃない?って思ってた。

だけど、今回のことは、

ご本人に悪意あってのことではないことだろうとわかってるし、マウントでもないと思う。

けれども、あんまり愉快ではなかった。

 

 

でも、なんでだろう?何がモヤモヤするんだろう?って考えた。

 

そしたら、「前提としていること」が違いすぎてる、ということが理解されないままで、ちょっと愉快ではなかっただけ、ってことに気づいた。

 

その方のご信仰も、ルールも、「その方の世界」では尊いんだと思うし、わたしは特に反論も何もない。

ただ単に、わたしは、その世界に属していないんだということは、相手にはわかられなかった。

 

この方は「感じる」を大切にされていて、だけど、わたしはそうではない。

場のエネルギーにせよ、霊的なものにせよ、「感じる」「感じない」は千差万別で、

それだからこその、「全ての人間には固有の振動数がある」の話なわけで、センサーも、キャッチする周波数も、人それぞれ。

 

ついでに言うと、体感があるからどう、ないからどうという話って、なんというか、、、、

わたしにとっては、割と本質からは遠い話に聞こえる。

そんなことで言うなら、わたしが各地でしている霊的体験をわざわざ持ち出して

いいえ、わたしも感じますよ?などと言えば、その方は納得するのでしょうか。

だいたい、

エネルギー体感があろうとなかろうと、わたしには「その人キャッハー!なの?」の方が大事だし、

キャッハー!とは、人の決めたルールではなく、自分で自分の喜びを見出せる状態、のことです。

本当に大事なのは「内的な変化」だと思うんですよ。

五感を超えた「ひらめき」のようなものを得ることの方が大切。

それは一度知ったら、もう、それ以前の自分には2度と戻れない(戻らない)、ようなことです。

 

仏の域に近づきたい、というのも、その方にとって素敵な目的なんだと思います。

でも、あなたが登る目的は?と言われても、わたしにとって、そもそも、「目的」なんかないから答えようがない。

で、仮に、仏の世界に行きたいのなら、アドバイスは同様に、仏の世界に近づきたい人から貰えばいいし、

だけどそんなアドバイスを人に求めるってどうなんだろう?とも思うわけです。

それぞれ自分で勝手に体得していくものなんじゃないかしら。

 

 

まあ、

少なくとも、わたしたちは今、この三次元的なしょーもない世界で生きるしかないから、

だったら、この三次元的なしょーもない世界を勝手にパラダイスにしたい、と思っている。

つまり、すでにして区分のないところにいたい、と考えているわけなんだけど、まあ、それをどう伝えるのかは本当に難しい。

 

ま、とにかく「新しい世界」ってそういうことなんじゃないの?って、わたしは思っていますけど、そんなの言うのもなかなかめんどくさいことだよね。

 

 

とかなんとか。

てな訳で、

わたしが、「スピの人ちょっと苦手」って言ったのは、こーゆーこともあるなー。

何を理想としているか、が違うと、話がややこしくなるんだよ。

あ、そっか。わたしがややこしいのか?(笑)

ま、そもそも「スピの人」の定義がよくわかんないけどね。

人みんな、それぞれ違うし、「得るもの」って、いわゆる神仏とかパワースポットによって得るだけじゃないしね。

 

 

なかなか難しいんだよね。

 

 

ちなみにわたしのアクセサリーは、体感できるエネルギーが強いから、みんなにして欲しいのではなくて、

それを身につけることで、もっと輝いてハッピーになって欲しいから、して欲しいのです。

 

 

ま、わたしとしては

山(マウンテン)だけに、マウンティングの話

ってとことにウケてもらえれば、一番嬉しいですw

 

 

読んでくれてありがとう!

 

またね!