人のためにする努力は報われない

 

わたしにとって長い一週間が終わりました。

先日チラッと言った「懸案A」に関して、

実はDNに、「聞いたこともない名前の難解な病気」の疑いアリと知らされたのが先週の土曜でした。

そしてこの週末は、その検査第一歩、ということで入院。

 

そこまでのプロセスは省きますが、とにかくそれを聞いて、わたしは生きた心地がしなかった。

グーグル先生は余計なことまで教えてくれるので、検索したら知らなくてもいい情報までゴマンと出てきます。

これは本当に失敗したと悔やんだ。

ドルフィン先生も常々「検索するからいけないんだ」ということを仰っていて、

そりゃそうだな、と思っていたものを、ついついその「変わった名前」を入力したがために

意味もなくビビらされました。

そこでわたしはありとあらゆる想定をし、

これまで共にしてきた生活の、いろんなシーンが思い出され、

どれもこれもすべてが、命あればこその話だったと悟り。

いやいや、でも、それも良い体験だったとは今思います。

 

 

また一方、実家では癌治療中の父が弱っていく様を見たりして、

ああ、わたしはもしかして、一気に身内を失うのかなと考えたら

言葉に尽くしがたいものがこみ上げてきました。

一人っ子で子供がいない人間は、皆わかるんじゃないかな。

 

まあ、そんなわけで、病院は我が家より実家の方が近いので、

便宜上、週末は実家に泊まったりしましたが、

実家に行けば行ったで、母親の出す異様なネガティヴなオーラ

物事すべて否定することに意義があるとでも思っているのか、

とにかくすべてを「拒否」し、結論が「ダメ」前提の人と、大事な話が真剣にできるわけもなく、

まあそんなことは以前からじゅうぶん知れたことではあっても

かなりしんどいものがありました。

 

わたしにとって逆パワースポットと化してしまった実家。

父の顔を見に、本当はちょくちょく寄りたいけれど、行けば必ず嫌な思いをする。

これまでは、わざわざ嫌な思いをしにいくこともないと割り切っていたけれど

状況が状況だけに、「行かない方が後悔する」という気持ちが、今はあります。

 

ネガティヴな人の持つ力って強大で、まさに「悪貨は良貨を駆逐する」的な?

わたしの振動数も、母親の前にはあえなく無力化されてしまうことも悔しい。

あーーーーわたしもまだまだだな!

と思うわけですが、父が弱っている分、母のネガティヴ力が増大していて

わたしごときでは太刀打ちできない。

一泊しただけで、わたしのライフレベルに赤が点灯、だいたい、ほとんど眠れなかった。

 

それで今日、退院するDNを迎えに行き、

気分転換になるかなと思って、葉山の方に行ったのですが

よほど弱っていたのか、車を降りてしばらくしたら、急にふらふらしてきました。

手足が軽く痺れて、まー軽い熱中症?

最終的には事なきを得たけれど、

わたしが急に具合悪くなったことがわからないDNは、

適切な処置などできるはずもなく、むしろ悪態までつかれる有様。

 

参った。

流石に参った。

 

 

「人のためにする努力は報われない」

というのは、盟友かねよん女史の名言なのですが、

報われたいとも、努力しているわけでもなく、

「そうした方が自分として後悔がないから」と思ってしていることでも

ときどき、イミフな結末になったりすると、心折れます。

 

いつもなら、わたしはこういうことを書かない。

書いても意味がないから。

 

だけど意味がないがゆえに、むしろ自分の中から放出することは大事だな、と思うので

書いてみた。

 

 

今日から9月。

実はこんなことよりもっと大切な、大きなお知らせがあるんだけど、

とりあえずこれを書いて、8月の区切りにしたいという魂胆。

 

明日から気を取り直して、ゴー!

きちんとした努力を自分のためにするために、です。

 

 

読んでくれてありがとう!

またね!