壊れたあとで気づくこと

 

ついに発注した!新しいiMac。

はーーーーーーーーーーーーーーー疲れた。疲れました。

もう1日何もしたくないぐらい疲れた。

 

何がってね、

めんどくさいんだよ、もはや「比較検討する」ということが。

スペック見て、理解して、モデルを選んで、オプションどうする、メモリいくつにする、とか、ストレージはどうする、とか。

考えてるといや〜〜〜〜〜〜〜〜〜な気持ちになってくる。

 

今の時点で例えば3万とかケチって後でさらにめんどくさいことになることは避けたい。

しまったーーーーーーーー!もっとメモリデカくしとくんだった!とか。

かといって、余計なものの分まで払いたくはないし。

 

コンピュータってさ、やっぱり「速さ」ってすごく大事だってことは、

ビュンビュン動く新品を手にした時に「だけ」実感するものじゃない?

わたしが2011年から使っている、今のデスクトップ、アプリの起動が「おそ!」と思っても

「まあ、動くし、、、、、」と騙し騙し使っていた。

それと、「まだ動くもの」を捨てたらいけないっていう、なんか罪悪感?

でもそれって、余計な待ち時間なんだよね。「めんどくさい」につながるんだもん。

ちゃっちゃと動いてくれたら、やっぱり捗るものは捗るんだよ。

 

それにしても、、、

2011 年から、片時も休まず動いてくれたiMac。

8年間もの間、働き続けた。

令和元年のタイミングで、お役目を終える今、非常に長い勤務時間に、ありがとうと言いたい。

遅くはなっても「普通に動く」ことで、

この人まだイケるじゃん、て思うものだけど、まあ、限界よね。

普通に存在していると、いかにこの人に依存していたかがわかろうというもの。

 

 

動かなくなってはじめて、

わたしはもはや、物事を比較検討したりすることが

超苦痛だ!!!!

という事実を思い知らされた。

だって、本当はどうでもいいことなんだもん。

 

自分がつくるアクセサリーの試作で、こっちと、こっちのどっちがいいか

みたいな比較検討は、な〜〜〜んの苦痛もない。

だけど、こういうスペックの比較ってさー、結局

どっちがお得かというだけの話。

「そんなもんに時間を使っている自分、みみっちい」って、思っちゃうから余計苦痛なのよね。

「賢い節約術」みたいなのも、無縁だし。

 

 

まあ、いいわ、まあいい。

もう済んだの。

発注したのよ!

 

サクサク動いてくれたらわたしのクリエイティビティも増大するって思うことにするの!

 

 

読んでくれてありがとう!

 

またねー!